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2017/08/19

3世紀前半の前方後円形墳丘墓群(1)(岐阜県富加町 杉洞1号墳/2号墳、蓮野古墳)

週末に岐阜へ行くことになった。

夕方までに可児市の親戚宅へ着けばよいので、それまでの間、思う存分、好きなだけ古墳を見てもよい旨の寛大なるお許しを妻から頂いた。

岐阜県内には古墳がたくさんあって、見たい古墳が目白押しであるが、今回は下記の新聞記事が決め手となり、富加町というところに行ってみることにした。

「富加町に3世紀古墳群か 前方後円で東海最古」(岐阜新聞Web 2017.2.7)
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20170207/201702070902_28969.shtml

以下、記事を一部引用
「3世紀前半に造られたと推定される岐阜県内最古の前方後円墳『夕田茶臼山(ゆうだちゃうすやま)古墳』の近くにある前方後円墳『杉洞(すぎほら)1号古墳』が、茶臼山古墳と同時期に築造された可能性が高いことが、6日までに同町教育委員会の調査で分かった。町教委は『3世紀の墳墓が同じ地区で複数存在するのは全国的にも珍しい』としている。夕田地区には前方後円墳『蓮野(はすの)古墳』もあり、3墳墓がいずれも古墳時代前の弥生時代に当たる3世紀前半と確認されれば、前方後円形の墳墓群としては東海地方では最古となる。」
「茶臼山、杉洞1号の両古墳は墳丘の土の盛り方や棺を設置する穴の構築方法などに類似点が多く、いずれも弥生時代末期の土器片が多く出土した。有識者による調査検討委員会は『夕田地区は、非常に稀な前方後円形の墳墓が一つの谷に複数存在するという極めて重要な地域。(古墳時代に)定型化した前方後円墳が成立する前の美濃の社会状況を示す貴重な発見』としている。」

3世紀前半と言えば、下手(?)をすると卑弥呼の生きていた時代まさにそのものである。最も古い時代のものとされる纒向石塚古墳や、それこそ卑弥呼の墓とも言われる、有名な箸墓古墳でさえ、3世紀初頭から中葉にかけての築造とされるのに対して、まさか岐阜県にそうした古墳と相前後して築造された古墳があるとは思いもよらなかった。

前置きが長くなったが、百聞は一見にしかず、これを見ずして、一体どうすると言うのだ。

名古屋駅前でレンタカーを借り、各務原市の鵜沼にある「うな神」という店で昼食を済ませ、準備万端、富加町に向かった。

まず最初に訪れたのは「富加町郷土資料館」である。

富加町は、奈良正倉院に現存する最古の戸籍と言われる「御野(みの)国 加毛(かも)郡 半布里(はにゅうり)戸籍」という、大宝二年(702年)に作られた戸籍の「半布里」に当たるとされ、半布里戸籍に関する展示も興味深いものであったが、他にも夕田茶臼山古墳のミニチュア模型やパンフレットなどがあり、発掘調査報告書などの書籍も販売されていたので、まずはここで情報収集である。

00 富加町郷土資料館 夕田茶臼山古墳ミニチュア


<杉洞1号墳、2号墳>
資料館の建物を出ると正面に木立が見えている。この木立の中に、新聞記事に出ていた杉洞1号墳がある。
全身に虫よけ剤を振りかけて、意を決して突入すると、右手(北西)の方向の地面がこんもりと大きく盛り上がっていて、前方後円墳の後円部のようにも見える。最初はこれが古墳かと思ったが、どうやらこれは自然地形のようである。

01 富加町杉洞1号墳北の自然地形

案内板などが見当たらないのでよくわからないが、木立の正面奥、南西方向に見えているマウンドが杉洞1号墳だろうか。

02 富加町杉洞1号墳?

03 富加町杉洞1号墳?

近寄ってみると、中央部が陥没したように大きく沈みこんでいる。

04 富加町杉洞1号墳?

左側面に回り込むと大きな円形のマウンドに見えるが、どうも前方後円形には見えない。

05 富加町杉洞1号墳?

新聞記事によれば古墳の大きさは全長30m、後円部の直径は18m、郷土資料館で販売していた「夕田茶臼山古墳範囲確認調査報告書」に掲載されている古墳分布図では、前方部を南東(郷土資料館の展示では南西)に向けて描かれているので、今見ているマウンドが杉洞1号墳なのであれば、弥生時代末期の高坏が出土した前方部前面というのは上の写真の手前右側、下草が生えていないあたりがそうであろうか。
墳丘の下からは、古墳築造に際して廃棄されたと思われる弥生時代の住居跡が見つかったらしい。

折角の希少古墳なのであるから、解説板などを設置してもらえれば、もう少し実感が湧くのだが、数か月前に発掘調査をしたばかりのようなので、整備はこれからなのであろう。

なお、木立を100mほど西に行ったあたりの斜面中腹にはもうひとつ、墳形不明の杉洞2号墳があるらしいが、こちらも案内板などがなく、アクセス方法がわからなかったので、その方向を遠望するに留めた。

06 富加町杉洞2号墳のある木立?を遠望


<蓮野古墳>
郷土資料館の南300mほどのところにある木立の中に、新聞記事で2017年秋に調査予定とされている蓮野古墳がある。
Googleアースで見ると、木立の一部が切り拓かれて畑地になっているようで、古墳はこの畑地の西側にあるようであるが、北側の民家を通らねば辿り着けなさそうである。
仕方がないので、古墳からの距離は遠くなりそうであるが、南側の道路に回って木立越しに覗き込んでみた。

07 富加町蓮野古墳のある木立を南から

木立の中、地面が盛り上がっているようにも見えるが、古墳はもっと斜面の上の方にあるはずなので、これは古墳の盛り上がりではなく自然地形であろう。

ここまでで3世紀前半の可能性のある古墳3基のうち2基を見た(?)が、いずれも整備保存の手は入っておらず、自然な形で残されていることは大変に喜ばしいことであるが、現状では双方とも、見学にはそれなりの覚悟が必要であり、容易ではない。
今後、相応の整備が進められるのであろうが、現地への案内板や見学路の整備、現地解説板の設置などは、折角の希少古墳なのであるから、是非検討頂きたいと思う。

長くなったので続きは次回。

(地図)
富加町地図①


(参考資料)
「富加町に3世紀古墳群か 前方後円で東海最古」 岐阜新聞Web 2017年2月7日版
「夕田茶臼山古墳範囲確認調査報告書」 2014年 岐阜県富加町教育委員会
「古墳マップ」 http://kofun.info/




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