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2017/08/07

あきしまの古墳散歩(2)(東京都昭島市 浄土古墳、経塚下古墳/昭島市No.37遺跡/昭島市No.21遺跡)

昭島市には昨年から仕事の関係で頻繁に通っていたけれど、これまであまり古墳や塚が多くある場所、という認識は持っていなかった。

先日、「あきしまの歴史散歩」という書籍を偶然手に入れたが、これを見ると、意外にも、先日見に行った大神古墳の周辺、大神町から田中町にかけた一帯には、古くは古墳群が広がっていたと考えられているらしい。

大神古墳の西隣、田中町には、そうした古墳群の中のひとつ、「浄土古墳」という古墳の石室が保存されており、公園として整備されている。

<浄土古墳、経塚下古墳>
大神古墳跡から500mほど西、奥多摩街道の「田中町」の信号を南に入った少し先、道路が崖を急坂で下りるところに「浄土古墳」がある。

01 浄土古墳

「あきしまの歴史散歩」によると、田中町の旧字名は「浄土」というらしく、古墳の名前はここから取られているらしい。ここはもともと浄土寺という寺の跡ではないか、といわれていた場所だそうだが、昭和50年に石室(1号墳)が発見され、金環などが発掘されたそうである。

02 浄土古墳1号墳

「多摩地区所在古墳確認調査報告書」によれば、墳丘は既に失われていたが、発見された石室は河原石積みで、「奥壁は凝灰質砂岩の一枚岩。明確な羨道のない横穴式石室的竪穴式石室。胴張り。」「石室内の規模は長さ3.6m、幅は奥壁で0.65m、中央で1.0m、入り口で0.65m。天井は消滅。側壁は小口積み」であったそうである。

古墳の築造された時期は7世紀後半と考えられており、発掘後、石室は石室材が地面から見えるように浅く埋め戻されているらしいが、すっかり埋もれてしまったのか、見たところはただの芝生の広場にしか見えないけれど、よく見るといくつか石が見えるので、これがその石室材の一部なのかも知れない。

03 浄土古墳1号墳近景

なお、昭和56年には新たに周辺から4基の石室が発見されたらしいが、周辺にそれらしい痕跡は見当たらなかった。

04 浄土古墳公園の周辺

05 浄土古墳解説

06 浄土古墳解説

また、ここから北東に700mほど離れた場所で発見された、「経塚下古墳」と呼ばれる古墳の小石室(長さ2.1m、幅0.4~0.6m)も、発見場所が道路用地に当たっていたことから、石室部分はこの浄土古墳のある公園内に移築保存されているらしいのだが、周囲にはそれらしい表示もなく、どこがそうなのか全くわからなかった。

07 浄土古墳公園の周辺


<昭島市No.37遺跡(経塚?)>
「経塚下古墳」の見つかった場所は「経塚下遺跡」と呼ばれる、宮沢町2丁目のほぼ全域にわたる広大な包蔵地の南端で、現在は新奥多摩街道が台地を深い切通しで抜けているあたりだったようである。
経塚下遺跡では、経塚下古墳の他、平安時代の竪穴遺構や「風字硯(ふうじけん)」と呼ばれる足つきの四角い硯(すずり)など、合計1万点に及ぶ遺物が発見されたそうである。古墳の石室は浄土古墳のある公園に移築されたものの、残念ながら古墳の跡地は道路工事で消滅してしまったらしい。
何となく諦めきれない気持ちで「東京都遺跡地図情報」を眺めていたところ、経塚下遺跡の北100mほどのところに「塚」のマークがあることに気が付いた。「昭島市No.37遺跡」と名付けられた「時代不明の塚」となっている。

「経塚下」の名は旧宮沢村の字名に因んで名付けられた、とあるので、このあたりの古い字名は「経塚」だったようである。おそらくこの周辺に地名の云われとなった塚があったのだろうと思い、「多摩地区所在古墳確認調査報告書」を見てみたところ、「付編2 多摩地区所在の塚」でこの塚についての記述があった。墳丘は「消滅」となっているが、備考欄で「経塚という言い伝えあり」としている。
すぐ南の斜面下で見つかった遺跡の名前が「経塚下」なのであるから、やはり、そのすぐ北の斜面上にあるこの塚が「経塚」だったのであろう。

旧宮沢村の鎮守である諏訪神社のある交差点から北に向かう道路は、「ハケ(崖線)」を切通しで上っていく。切通しの西側に広がる住宅街も北に向かって緩やかな上り斜面になっている。

08 宮沢町No.37(経塚)周辺

住宅地の中ほど、「東京都遺跡地図情報」で塚のマークが付されている場所は現在空き地になっている。

09 宮沢町No.37(経塚)遠景

季節はあいにく夏なので、空き地一面が草叢に覆われている。墳丘は「消滅」してしまったようであるが、地面に僅かでも塚の痕跡が残されていないか、と思いながら眺めていると、よくわからないが、部分的に草丈が周囲よりも若干高くなっているようにも見える。

10 宮沢町No.37(経塚)

冬になったらもう一度見に来てみようと思う。


<昭島市No.21遺跡>
昭島市内にはもう一箇所、古墳跡が見つかっているようである。
多摩大橋で多摩川を渡り、そのまま多摩大橋通りを北上したあたり、道路が高い段丘上へ上る橋状の上り坂になっている場所がある。空が広く、西側の眺望がよいので、いつもそちらばかり見てしまうが、東側は段丘が南に大きく舌状に張り出している。このあたりは「廣福寺台遺跡」と呼ばれ、縄文時代から平安時代までの集落跡が見つかっているそうである。その遺跡の中ほどに、「昭島市No.21遺跡」と名付けられた古墳がかつてあったらしい。

ただし、詳細はよくわからないらしく、「多摩地区所在古墳確認調査報告書」でも「玉川小学校裏手で耕作中に直刀が出土したと云われているが、古墳自体の詳細は不明」とだけ記載されている。

これまでにも何度か現地へ行ってみたが、周辺はすっかり畑地として開墾されていて、古墳の痕跡は見当たらず、今日は畑の脇に植えられた向日葵が夏の日差しを浴びて揺れているだけであった。

11 福島町No.21跡地

12 福島町のヒマワリ

昭和22年に米軍が撮影した航空写真でも既にこのあたりは畑地となっているようであるので、痕跡が皆無なのもやむを得ないのかも知れない。

13 福島町No.21跡地

崖の下の方に回ってみると、崖の高さは10mほどあるだろうか。

14 福島町ハケ下よりNo.21跡地周辺を見上げる

これだけの標高差があれば、なるほど、人家が立ち並んだ現在でも、崖上からの眺望がいいのは納得である。古墳の跡はどこだかわからないけれど、ここから見上げる空は、古墳があった頃ときっと変わらず、広くて高かった。

15 福島町の空

(地図)
昭島市古墳地図


(参考資料)
「あきしまの歴史散歩」 2017年3月 昭島市教育委員会
「多摩地区所在古墳確認調査報告書」 1995年3月 多摩地区所在古墳確認調査団
「東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス」 東京都教育委員会 http://tokyo-iseki.jp/map.html#
「古墳なう」 http://gogohiderin.blog.fc2.com/



<追記2017.12.26>
仕事で昭島に行った際、手違いで30分ほど時間ができたので、経塚に立ち寄ってみた。
夏草が盛り上がっていたように見えたのはやはり気のせいだったようで、経塚の墳丘は消滅してしまっているようだった。

追記 経塚現況

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