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2017/07/03

「古墳のような」神社、再び(埼玉県川越市 シベイ塚)

昨年から続いていた大きな仕事が今日、ようやく一段落した。
時刻はもう夕方であるが、まだ明るいので、以前から気になっていた、もうひとつの「古墳のような神社」を見に行きたいと思う。

川越市砂新田は南西から北東に向けて走る舌状台地を望む崖下にあたり、標高は13~14mほどである。以前、この低地部分にある「古墳のような」神社として「春日神社」を紹介したが、実はその近くにもうひとつ、これこそ「古墳ではないか」と言われている、神社を頂いた塚がある。

「埼玉の古墳」という県内の古墳を網羅した5冊シリーズの書籍の「北足立・入間」編、「新河岸川流域の古墳」の項で、「旧高階村砂新田の古墳」と題して、「次兵衛塚/シベイ塚」という塚が紹介されている。

前述の春日神社から南に800mほど、低地を見下ろす舌状台地上の北の際、高階中学校前の駐車場の奥に、裾をブロック塀で囲まれた大きなマウンドが見えている。

01 川越砂新田シベイ塚遠景

塚の直径は20mくらいあるだろうか、高さは7~8mで、墳頂に吉田神社が祀られている。

02 川越砂新田シベイ塚近景

左手(南)から見ると、赤い倉庫のような建物は宙に浮かぶように建てられている。

03 川越砂新田シベイ塚南から

正面に設けられた急な石段を上ると、頂上には件の倉庫の入り口と、小さな吉田神社の祠が立っていた。

04 川越砂新田シベイ塚墳頂への石段

05 川越砂新田シベイ塚墳頂吉田神社

塚の裏側は民家に接していてよくわからないが、頂上から見回す限りでは、墳丘はほぼ円形をしているようである。

06 川越砂新田シベイ塚墳頂より墳裾

古墳は高さ5mほどの舌状台地の北の際に築かれており、北西側の地盤は低くなっているので、墳頂から西を見ると家々の屋根が目線よりも下になり、見晴らしがよい。

07 川越砂新田シベイ塚墳頂より西を見る

この塚は古くから知られた塚のようで、「埼玉の古墳」によると、「新編武藏風土記稿」で
「次兵衛塚 高サ二丈許」
と紹介されているほか、言い伝えでは川越藩主に仕えた吉田次兵衛という人物が、自らの領地に武具を埋めて築いた塚とされる。この吉田次兵衛は、榛名神社の申し子を自らの子として大切に育て、やがてこの地で木喰上人となったことから、榛名湖の竜神もこの地には雷や水害をもたらさなかった、とされているそうだ。

江戸時代に小林一茶が草津への途次、ここを通った際の記録「草津道の記」にも似たような伝承が記されているそうだ。

「川越入口坂を尾頭坂(烏頭坂:ウトウザカ)、爰にシベイ塚といふ有 そのかみ何某どのゝ姫君、従者あまた供して上州ハルナ山に参り玉ひけるに、姫いかに思ひけん、絶頂の沼に身投げてうせぬ かくて守護なせる者ども、魚の水に放れ、鳥の羽うしなひたるやうに思はれて、館へ返るもよしなして、髪反りこばちて、姫の菩提とひける塚となん里人のかたりける しかるに姫は、彼沼の蛇となりて六月氷を降らせけるにも、此村々人々シベイ塚シベイ塚と唱へ、又嘗て田畠に立れば、其災を除とかや」

旧高階村の村史では、「後に治兵衛についての伝説が付け加えられたが、この頃(大昔?)の古墳とみてさしつかえないものであり、藤間の諏訪神社の低地にあるがんおい塚なども、あるいはこの時代の古墳であるかもしれないし、砂新田には他にも古墳の跡でないかとみられるものもある。」とされているそうだ。

時代が下って「川越市史」では、「治兵衛塚と駅近くにもう一基あるが古墳としての確証なく、それぞれ一基ずつぽつんとあるのはおかしいが、所沢街道の砂久保の手前の山林中の二基のうち一基からは円筒埴輪が出土しているので古墳ともみられるが、一、二基ずつ散在するのは了解し難いところである」と古墳説を疑問視しているようであるが、この際、こうした消極的な説は見なかったことにしたいと思う。

何の根拠もないけれど、古墳好きとしては、舌状台地の際に立つシベイ塚はやはり古墳なのではないか、と思いたいのであるが、古墳であろうと、そうでなかろうと、いずれにしても永年の風雪に耐えた貴重な文化財であることは紛れもない事実であるし、それだけでもう、十二分に感服に値することだと思うのである。

(地図)
川越砂新田シベイ塚地図


(参考資料)
「埼玉の古墳 [北足立・入間]」 2004年9月 塩野 博氏 さきたま出版会
「川越雑記帳2(川越見て歩き)」 http://blog.goo.ne.jp/kwg1840go






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