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2017/06/14

杉並区に前方後円墳があった?(東京都杉並区 お屋敷山古墳跡)

今回もやや中途半端な「古墳探訪」であることをお許し頂きたい。

東京23区内にある前方後円墳としては、港区芝にある丸山古墳や、上野公園にある摺鉢山古墳、我が地元大田区の亀甲山古墳などが有名であるが、いずれも公園の築山としての役割を与えられたことで、奇跡的にその姿を留めているのだと思う。

23区内には他にも富士塚などに転用されたことでその姿を留めている古墳があるが、有名な武蔵国造の乱によって武藏國の支配権が南武蔵から北武蔵に異動した(と考えられている)こともあり、今知られているもの以外に南武蔵には大型の前方後円墳はなかったのだろう、と勝手に思い込んでいた。

日中、立川で仕事があって、終わってからもすぐ自宅へ戻らねばならないのだが、最近、なかなか古墳を見に行くことができなくて、心が鬱積している。
あまり時間はないけれど、どこか寄り道してしまおうと思い、ご~ご~ひでりんさんの「古墳なう」で帰りがけに立ち寄れる古墳はないか探していると、思いがけず、杉並区に前方後円墳のマークがあるのに気が付いた。
青いマークなので現存はしていないようであるが、杉並区に前方後円墳があった、というのは本当に思いがけなかったので、今日はこれを見て帰ろうと思う。

高井戸インターから甲州街道へ出て、桜上水駅のあたりで北方へ左折すると、すぐに崖沿いの緑地帯が見えてくる。神田川はもう少し北を流れているので、ここに段丘があるのは意外な感じがするが、緑地帯の方は多摩川上水の痕跡のようである。

さらに意外なことに、古墳はこの段丘を下りたところにあったらしく、若干違和感を感じながらも、そのまま段丘を下り坂で下り、高井戸運動場の手前の路地を左折すると、右手に向陽中学校が見えて来る。

01 杉並お屋敷山古墳跡?

ここにあった古墳は「お屋敷山古墳」と呼ばれる立派な前方後円墳だったようで、耕作などによってある程度削平されていたらしいが、大正から昭和にかけて史蹟として指定される直前に消滅してしまったらしい。詳しくはご~ご~ひでりんさんの「古墳なう」や、向陽中学OB(?)の川俣晶さんという方のウェブサイトをご覧頂ければ、と思うが、「古墳なう」によると、ちょうど中学校の校舎のあたりに北西方向に主軸を置いた、全長70~90mほどの墳丘があったようである。
「今昔マップ on the web」で見る限り、昭和20年の地図ではまだ中学校は建設されておらず、やや括れた瓢箪型の地形が描かれているので、戦後間もなく削平されてしまったのではないか、と思う。

立派な前方後円墳が残っていれば杉並区の貴重な歴史遺産になっていただろうと思うと大変残念であるが、もはやここに古墳があった、という痕跡は全く感じられない。

かなり贔屓目に見れば、学校の敷地がどことなく弧を描くようにカーブしているように思えるので、もしかするとこれが古墳を巡っていたという周溝の輪郭なのかも知れず、唯一、このカーブだけが僅かに古墳の雰囲気を残しているようにも思える。(というか、是非そう思いたい。)

02 杉並お屋敷山古墳跡?

もう少し、古墳があった当時の風景を妄想していたいが、中学校の校門前で、遠い目をしたおっさんがキョロキョロと写真を撮っているのはどう見てもヤバい雰囲気である。早々に引き揚げることにしよう。


(参考資料)
「古墳なう」 http://gogohiderin.blog.fc2.com/
「川俣晶の縁側 杉並区、向陽中学校/下高井戸運動場にあった『お屋敷山古墳』という謎」 http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20080330020337
「今昔マップ on the web」 http://ktgis.net/kjmapw/index.html


お屋敷山古墳跡地図



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