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2017/05/08

常陸国風土記に見える「鯨岡」(茨城県行方市 橋門阿弥陀堂)

霞ヶ浦での仕事を終え、時計を見るとまだ夕方の5時である。すっかり陽が長くなったので、日没までまだ1時間以上ある。
帰り道からは外れるが、以前、暗くなってしまってよく見ることができなかった、行方市の橋門にある阿弥陀堂をもう一度見に行ってみたいと思う。
霞ヶ浦大橋を渡って行方市に入り、高須交差点を右折して湖岸の355号線を10kmほど南下すると旧麻生町の橋門に至る。阿弥陀堂は355号線に面した高みの上にある。

01 行方橋門阿弥陀堂

道路沿いに何気なくあるように見えるが、なんと、養老2年(718年)成立とされる常陸国風土記の中で、「男高(オダカ)の里の栗家(クリヤ)の池の南にある岡で、鯨がここまで這ってきてそのまま息絶えて伏せった場所」とされる「鯨岡」の一部であるとされ、しかも、もともとは古墳だったと考えられているようである。

02 行方橋門阿弥陀堂解説

「鯨岡」という名前からすると、築造当時は前方後円墳だったのではないか、と思うが、「いばらぎデジタルまっぷ」では遺跡としての登録はされていない。

道路側から見ると3mほどの高さに見えるが、南側から見ると道路側の上部が平らに削られて阿弥陀堂が立てられているのがわかる。背後(右側)はさらに倍ほどの高さが残っているようだが、土の断面がむき出しになっており、こちら側はかなり削られて変形してしまっているようだ。

03 行方橋門阿弥陀堂(南から)

04 行方橋門阿弥陀堂

05 行方橋門阿弥陀堂(南から)

階段を上って阿弥陀堂に手を合わせ、写真撮影の許しを請うたが、板碑に浮彫りという阿弥陀様は信仰心の薄い者には見えないようである。

06 行方橋門阿弥陀堂

道路の方角でなく南を向いた阿弥陀堂の脇に、一段高い遺存墳丘が見えているが、北川(左側)の傾斜と比べると、やはり南側(右側)はだいぶ削られてしまっているように思える。

07 行方橋門阿弥陀堂

往時の姿やいかに、と頭の中で思い浮かべながら、帰路についた。

途中、西陽の中、湖岸に見事な鯉幟を見かけた。

08 行方井上根古屋宿近くにて

写真では大きさや迫力が伝わらないと思うが、それぞれの鯉の大きさは5mくらいあるのではないか、と思う。そういえば最近、こうした立派な鯉幟を見かける機会もだいぶ減ったように思う。
当家の女性だろうか、「せっかくならもっと風があればよかったのだけれど・・・」と残念そうであったが、そんなことはない。十分すぎるぐらい印象深い光景だ。

最後に蛇足ながら、鯉幟の足許に何やら石碑が建っており、その時は何と書かれているのか読めなかったのだが、帰宅していろいろと調べていたところ、「玉清井」という、日本武尊の東征伝説に関連した石碑であったようだ。来年の5月にでも是非また再訪したいと思う。

橋門阿弥陀堂地図

(参考資料)
「いばらきデジタルまっぷ」 http://www2.wagmap.jp/ibaraki/top/select.asp?dtp=34
「常陸国風土記の世界」 市民の考古学⑪ 2011年12月 茂木雅博著 ㈱同成社


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