FC2ブログ
2017/05/02

中世の面影と室町仏の伝わる神社(東京都日野市 日野宮神社)

今回は趣向を変えて神社である。

加賀塚を見た後、まだ少し時間があるので、加賀塚公園のキリンには申し訳ないが、もう一箇所、すぐ近くの日野宮神社に立ち寄ることにした。

日野宮神社は「日野」という地名の起源となった神社とも言われ、創建年代は不明ながら、一説によると武蔵七党のひとつ、西党の祖である日奉(ヒマツリ)氏が承平元年(931年)に武蔵国造として京都より下向し、そのまま土着、日奉氏の子孫が祖先を祀るために創建したと伝わる。天保年間(1830~1844年)の古地図にも描かれており、新編武藏風土記稿にもその名の見える古社である。

01 日野宮古写真

由緒深い神社であるにも関わらず、佇まいはこじんまりとして見えるが、この神社には、室町時代の永正14年(1517年)の作とされるほぼ完全な形の阿弥陀如来像と、江戸時代の作で観音菩薩の像容ながら虚空蔵菩薩と伝わる貴重な仏像が伝わるそうだ。

02 日野宮

虚空蔵菩薩の使いは鰻とされるそうで、なるほど、写真の虚空蔵菩薩の衣は鰻の姿に似ている。多摩川の増水時に堤防の決壊を鰻が防いだという伝承もあるらしく、古くからこのあたりでは鰻は食べないそうである。

03 阿弥陀如来像・虚空蔵菩薩像


日奉氏の伝承との関連はともかく、このあたりには古くから人が住んでいたらしく、平安時代の住居跡なども見つかっているらしい。「栄町遺跡」と呼ばれ、日野宮の南東、都営アパートが建っているあたりから14世紀の遺構が集中して見つかっていることから、当時、集落の中心はこのあたりにあったと推定されているようだ。
その後、16世紀後半、北条氏の時代に宿駅が作られ、江戸になって甲州街道の宿場となるまでの集落の変遷の様子が発掘により解明されているらしい。

04 栄町遺跡


このあたり一帯は今でも中世の面影があちこちに残っている。

青面金剛像[宝暦7年(1757年)]

06 庚申塔解説


鰻を食べないという珍しい風習も含め、東京にもまだこうした「奥行きの深い」土地が残されているのは喜ばしい限りである。古墳以外もたまにはいいものだ。


加賀塚・日野宮地図


コメント

非公開コメント