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2017/04/27

江戸名所図会の天王森と元応の板碑(東京都府中市 天王塚(高倉29号墳))

天保年間に刊行された「江戸名所図会」に「分倍河原 陣街道」という挿絵がある。府中市西部、多摩川左岸の「分倍河原」は元弘3年(1333年)の新田義貞の鎌倉攻めの際、迎え撃つ北条方との間で激しい戦いが行われた場所で、古来、戦で亡くなった戦死者の墓と伝わる塚が多く残されていた土地であったらしい。

01 江戸名所図会 「分倍河原 陣街道」


中央に描かれているのは旧鎌倉街道上道、別名「陣街道」で、今日では中河原駅前から「分倍河原古戦場碑」横を通り、分梅駐在所前で府中崖線(このあたりでは「ハケ」と呼ぶ)に突き当たっている。現在の道路はハケを避けるように、崖下を府中本町方面へ向かうが、旧道はそのまま光明院横の急な上り坂で府中崖線をまっすぐ北に登っていく。
崖を登った先、立川段丘上には約30基から成る高倉古墳群が街道の東西に密集している。今日はこのうち「江戸名所図会」にも描かれている古墳をいくつか回ってみようと思う。

<天王塚(高倉29号墳)>
名所図会のほぼ中央に描かれているのが、牛頭天王を祀る天王宮八雲神社の杜で、図会では「天王森」と書かれている。社は描かれておらず、小山のように盛り上がった丘の上に紙垂のついた注連縄の張られた石碑が描かれている。

02 江戸名所図会 「分倍河原 陣街道」(天王森部分拡大)

この石碑は現在でも神社脇にあり、元応元年(1319年)に建てられたことから「元応の板碑」と呼ばれている。

03 元応板碑(複製)

平成24年に道路の拡幅工事で板碑の根元の土地を削る必要が生じ、風化による痛みも見られていたため、板碑は保護のため郷土の森博物館に移設されており、現在ここにあるものは複製だそうだ。以前は傍らの樫の木に抱き込まれるように立っていたそうだ。樫の木は既に枯れて上部を失っていたものの、木が抱き込んだそのままの形で保存できないか議論されたようだが、石碑を外す際に残念ながら木は壊さざるを得なかったそうだ。
700年という歳月の迫力を是非、実物で見てみたかったものである。(樫の木の樹齢は150年ほどであったそうだが。)

04 元応板碑(写真)

歴史が濃い地域だけに、なかなか古墳に辿り着かないが、八雲神社の社殿後方にひっそりと残されているのが高倉29号墳、天王塚である。

05 天王宮八雲神社

06 府中天王塚遠景

神社の解説板によると築造は「6世紀後期」とのことであるが、これまでに調査はされていないようである。

07 府中天王塚近景

「多摩地区所在古墳調査報告書」によると、墳丘は東西14.5m、南北14mで高さは2m、墳形は円墳か方墳か確認できていないようだ。

08 府中天王塚墳丘

09 府中天王塚(北から)

天王の森には深遠とした空気が満ちていた。

10 天王森


(参考資料)
「新訂 江戸名所図会 巻之三 天璣之部」 1996年11月 ちくま学芸文庫
「江戸名所図会 分倍河原 陣街道」 国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2559049?tocOpened=1
「多摩地区所在古墳確認調査報告書」 1995年3月 多摩地区所在古墳確認調査団


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