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2017/04/25

多摩川右岸 微高地の低地古墳(6)(神奈川県川崎市 明津水塚跡)

「川崎誌考」という本は昭和2年に出版されたもので、古多摩川の流路の変遷を貝塚の分布や地名、伝承などから読み解いていて大変に興味深い。著者はハリストス正教会の伝教者から新聞記者となった山田蔵太郎という人物であるが、彼は考古学にも造詣が深かったらしく、今日では消滅してしまった川崎市内の貝塚や古墳などの状況に関する観察記録や現地写真などが残されており、とても貴重な記録であるといえよう。

最近はあまり遠出する時間がなかったので、専らこの本に載っている川崎市内の微高地古墳を回ってきたが、今日もやはりこの本に載っている「明津の水塚」という古墳を探してみたい。

明津の水塚について、「川崎誌考」には1枚の不鮮明な写真と、以下のような記述がある。
「明津の土地は多摩川の南流路と矢上川とが落合ふ洲先に當り(略)、新編武藏風土記の傳ふるところに依ると、此の塚は如何なる出水にも水に浸さるること無きが故に、土民之を水塚と唱ふとある。此の塚も或る部分は既に崩されて原形よりは小さくなったと思はれる。(略)」

「ガイドマップかわさき」では、「明津の水塚」と思われる古墳マークが橘公園の南、矢上川右岸の住宅地についている。明治時代の地図を見ると、戦後、直線状に改修される以前の矢上川は現在よりも少し南寄り、今の蟹ヶ谷保育園の南側の崖下を流れていたようである。よく見ると、「ガイドマップかわさき」とちょうど同じと思われる地点に塚のマークがあるのがわかる。戦後の航空写真で見ても、1960年代初頭までは、丸い墳丘状の地形が確認できるが、その後は宅地となってしまったようで、残念ながら墳丘は残されていないようであった。

現地へ行って見たが、現在は駐車場になっていて、古墳の痕跡は全く残っていないようであった。ただ、地盤が50cmほど高くなっているのは微高地の名残だろうか。

明津水塚古墳跡

河川改修で水害の危険も減り、水塚としての役割も終えた古墳は削平されてしまったようである。昔ここに「明津の水塚」という名前の古墳があったことも、だんだんと忘れられていくのだろう。

明津付近の矢上川


(参考資料)
「川崎誌考」 山田蔵太郎著 国書刊行会
「ガイドマップかわさき 川崎市地図情報システム」 川崎市 http://kawasaki.geocloud.jp/webgis/?p=0&mp=21
「地図・空中写真閲覧サービス」 国土地理院 http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1



(追記)
国土地理院のウェブサイト「地図・空中写真閲覧サービス」(http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1)で明津水塚周辺の空中写真を見てみた
水塚の墳丘と思われるものは上述の駐車場の矢上川寄りに1963年まで映っている

1947年7月撮影
国土地理院空中写真19470709_USA-M371-95を拡大

1963年6月撮影
国土地理院空中写真19630626_MKT636-C16-8を拡大

1975年1月撮影
国土地理院空中写真19750103_CKT7415-C40-21を拡大

3枚目の写真(1975年)では住宅が映っているので、墳丘はこの間に削平されたようである。

コメント

非公開コメント

昔ここに「明津の水塚」という名前の古墳があったことも

>河川改修で水害の危険も減り、水塚としての役割も終えた古墳は削平されてしまったようである。昔ここに「明津の水塚」という名前の古墳があったことも、だんだんと忘れられていくのだろう。

〇なるほど、これが無名の古墳の末路ですか。感慨深い記事でした。
 草々


No title

レインボー様

コメント、どうもありがとうございます。

確かに、学術的に有意義であるとか、規模が大きいとか、そういったもの以外の「名もなき」文化財に保護の手が伸びないのは残念ですが、そうであればこそ、草の根のように、見聞きした情報を何等かの形で残しておく意義も少しはあるのかな、と思っています。

今後ともどうぞよろしくお願い致します。