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2017/04/19

多摩川右岸 微高地の低地古墳(4)(神奈川県川崎市 上丸子古墳跡)

今回は単なる「木の切り株」である。

上丸子古墳は、丸子橋付近の河川敷にあった古墳で、大正10年の多摩川河川敷改修工事で削平され、消滅してしまった古墳である。宮内古墳を見た後、多摩川べりを散策するのもよかろうと思い、上丸子古墳の跡地でも眺めてみようと思った。

土手には、名前はわからないが、紫色の菜の花に似た花が一面に咲いていて、風に揺れている。向こう岸には多摩川台古墳群のある高台がすぐそこに見えている。

01 丸子橋付近

当時、丸子の渡し(現在の丸子橋)の北、ちょうど上の写真の現在は河川敷になっているあたりに青木根という集落があり、中原街道から集落への入り口付近にあった小高い丘の上にお伊勢様と呼ばれる神社があったそうだ。この伊勢宮の祠のあった場所が古墳であった、とされ、人物埴輪が出土した、とされている。
大正8年から始まった多摩川下流域の大規模な築堤工事に伴い、青木根集落は移転、伊勢宮のあった上丸子古墳も築堤工事で完全に削平されてしまったらしい。

上丸子古墳については昭和2年出版の「川崎誌考」に、出土した人物埴輪の写真とともに詳細な記述がある。当時、既に工事が進んでおり、「今は全く平夷となってゐる。(中略)尚幾分元形を止めて封土が残つてゐた。概して見るに前方後圓墳ではないかと思はれた」とあり、地図上に古墳の位置が記されている。見ると、集落へ向かう道が伊勢宮に突き当たって二又に分岐しており、細長い丘状地形の周囲を道が迂回しているようになっている。

「ガイドマップかわさき」で見ると、現在の丸子橋のすぐ袂に古墳マークが付されているようであるが、そのあたりは住宅が立ち並んでおり、古墳の影も形も見当たらない。

02 丸子橋袂

思うに「ガイドマップかわさき」の古墳マークは少し内陸にズレているのではなかろうか。「川崎誌考」の地図の場所を現在の地図と見比べてみると、伊勢宮のあったあたりは現在の河川敷の中ほど、東横線の橋梁と丸子橋とのちょうど中間あたりのようである。(こういう時は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」が便利である。)

03 上丸子古墳跡周辺

河川敷をそれとなく見渡していると、草叢のあちこちから何かが覗いているのに気が付いた。

04 上丸子古墳跡周辺

何かと思って近寄って見ると、なんと大きな木の切り株である。

05 上丸子古墳跡周辺の切り株

それも1か所だけではない。見回せば、あちこちに巨木の切り株があるではないか。

06 上丸子古墳跡周辺の切り株

07上丸子古墳跡周辺の切り株

切り株はどれも乾燥してひび割れており、だいぶ古びて見える上に、どれもとても太い。木の種類はわからないが、樹齢は100年は下らないのではないだろうか。

08 上丸子古墳跡周辺の切り株

近くには一本、木が生えているけれど、防災のために河川敷を切り開いた後に大木が育つようには思われない。切り株の古さから見ると、もしかしたら大正の築堤工事の際に伐採された樹木の切り株ではないだろうか。しかも、このあたりが伊勢宮のあった場所だとすると、これらの樹木はもしかすると、鎮守の杜の樹々だったのではなかろうか。

切り株は、現在の堤防の内側、河川敷よりも一段高いテラス状になっている場所にも残っていた。

09 上丸子古墳跡周辺の切り株

このテラス状の高まりには木の根やコンクリートの段のようなものが埋まっており、もしかするともともとあった自然堤防の高まり(伊勢宮の基壇?)がそのまま残ったものとは考えられないだろうか。
(古墳好きが乗じて、最近、地面の膨らみは須らく古墳に関係するものに見えてしまう。(にしか見えない。))

10 上丸子古墳跡周辺

切り株は黙して語らない

11 丸子橋周辺

風が草を揺らして通り過ぎてゆくばかりである

12 丸子橋周辺


(参考資料)
「今昔マップ on the web」 http://ktgis.net/kjmapw/
「加瀬台古墳群の研究Ⅰ~加瀬台8号墳の発掘調査報告書」 川崎市市民ミュージアム
「川崎誌考」 山田蔵太郎著 国書刊行会
「ガイドマップかわさき 川崎市地図情報システム」 川崎市 http://kawasaki.geocloud.jp/webgis/?p=0&mp=21



(追記)
一説によると、伊勢宮のあった丘の高さは4mほどもあったらしい。切り株のある場所の周囲が埋め立てられたのでないとすれば、やはりこれらの切り株は、残念ながら、伊勢宮の樹々ではないのかも知れない。

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