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2017/04/13

多摩川右岸 微高地の低地古墳(1)(神奈川県川崎市 塚越古墳/御嶽神社)

南武線矢向駅の北側一帯にある「塚越」という地区を南北に貫く緩やかに湾曲した道は、平間の渡しから自然堤防上を通り、旧多摩川の蛇行跡によってできた御幸の南河原の南を通って、尻手、川崎宿へと至る、古くからの道である。
その道沿い、塚越地区の北の外れ近く、理髪店の裏の民家の庭先に、地名の由来となった塚越古墳がある。

<塚越古墳>
昨年の夏、初めて訪れた際は、墳丘全体が夏草に覆われていて、本当にこれが古墳なのかどうか、正直自信が持てなかった。

01 川崎塚越古墳(晩夏)

02 川崎塚越古墳(晩夏)

季節を変えて4月に再訪してみると、ちょうど墳丘の桜が満開だった。

03 川崎塚越古墳(西側道路より)

昔、多摩川はこのあたりを流れており、古くは「塚の越し」と呼ばれる渡し場があったらしい。北側に隣接する古川地区は古多摩川の流路跡とされていて、地図を見ると確かにそのような形をしている。
「新編武藏風土記稿」に「村内に古塚ありて其辺を塚の越といへり」との記述が見えることから、古墳は古くからその存在を知られていたようだ。

04 川崎塚越古墳(南より)

昭和2年出版の「川崎誌考」でも、「塚越の古塚」と題した、藪に覆われた小山のような1枚の古写真が掲載されていて、これを見ると現在よりもずいぶんと高い墳丘だったように見える。
平成25年に発掘調査が行われるまで、古墳であるか後世の富士見塚であるか議論があったようだが、発掘調査で周溝が確認されたほか、円筒埴輪や南北朝時代の板碑が出土したことから、古墳であることが明らかになった。直径18m、高さ3.2mの円墳である。

05 川崎塚越古墳(近景)

このあたりは多摩川沿いの沖積低地であるが、川崎市市民ミュージアム発行の「諏訪天神塚古墳~多摩川低地の遺跡群研究」に掲載されている地図を見ると、塚越地区はほぼ全域が自然堤防上の微高地になっており、古墳は自然堤防の北の縁辺に位置している。

06 川崎塚越古墳(近景)

周囲に住宅が立ち並ぶ中、所有者が代々大切に守り続けてきた、多摩川右岸の沖積低地に現存する貴重な古墳である。

07 川崎塚越古墳(西側道路より)


<御嶽神社>
塚越古墳のほど近く、南に100mほど離れたところに御嶽神社という神社がある。

08 塚越御嶽神社(鳥居)

昨年夏、初めて塚越古墳を訪ねた際に、御嶽神社にも立ち寄った。
創建時に塚越古墳の墳丘の一部が盛土として使用されたらしく、その際、塚越古墳から刀剣が出土した、と伝わるそうである。

09 塚越御嶽神社(解説)

御嶽神社も塚越古墳同様、自然堤防上にあり、2mほどの高さの基壇の上に社殿が建てられている。

10 塚越御嶽神社(南側遠望)

kame-naokiさんのブログ「カメさんと遺跡」でも言及されているが、御嶽神社の基壇ももともとは古墳で、社殿は古墳の上に建てられたのではないか、と思う。

神社の創建時期はわからないらしいが、一説にはこのあたりに人々が定住を始めたのは享保年間(1716~1736年)らしく、その後、水害に悩まされた人々が村の鎮守として神社を祀るに際して、洪水があっても神様が決して水に濡れることがないよう、微高地の上の小高い古墳をさらに盛土して、その上に祠を祀ったのだろう。

11 塚越御嶽神社(西側遠望)

見上げれば、吽形の狛犬の向こうに社殿の屋根と空があった。

12 塚越御嶽神社(狛犬と社殿)


(参考資料)
「塚越古墳確認調査現地見学会資料」 川崎市教育委員会 http://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000058333.html
「川崎誌考」 山田蔵太郎著 国書刊行会
「諏訪天神塚古墳~多摩川低地の遺跡群研究」 川崎市市民ミュージアム
「カメさんと遺跡」 http://kamenaoki.blog.fc2.com/

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