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2017/04/12

伊勢物語ゆかりの野火の見張り台(埼玉県新座市 野火止塚(九十九塚)/業平塚)

新座市にある野火止台地は、武蔵野台地の北西端部に連なるヤツデ葉状の支台のひとつで、東は黒目川が削った急峻な開析谷で朝霞台地と、西は柳瀬川が削った緩やかな開析谷で所沢台地とそれぞれ画されている。幅 2~3km、長さ十数 km の細長い舌状台地で、低地との高低差は 10mほどを測る。
市域のほぼ中央部に位置する広大な雑木林は国の天然記念物に指定されている平林寺とその境内林で、いにしえの武蔵野の面影をそのまま今に残す貴重な雑木林とされている。

平林寺山門

平林寺境内林

雑木林の西側は周辺よりも一段高く、「平林寺の丘」と呼ばれる独立丘になっていて、西側は傾斜の緩やかな支谷に面している。野火止塚、業平塚はいずれもこの支谷を見下ろす平林寺の丘の北西縁に位置している。

<野火止塚>

野火止塚


野火止塚については、室町時代の文明18年(1486年)、道興准后の関東下向時の紀行文である「廻国雑記」にも「此のあたりな野火とめのつかという塚あり けふはな焼きそと詠ぜしによりて 峰火たちまちにやけとまりけるとなむ」とあり、かなり古くから伊勢物語所縁の地として知られていたようだ。

野火止塚

新編武藏風土記稿によれば、野火止塚の大きさは径10間(18m)、高さ5間余(9m余)となっているが、現在の高さはそれほどには見えない。新座市のホームページでは高さ6mとなっている。

野火止塚

塚の起源は新羅系の渡来人がこのあたりで行った野火によって火田を作る焼畑耕法にあるとされ、現地解説板によると和名抄に見る火田狩猟による野火を見張ったものか、焼き畑耕法による火勢を見張ったものか定かでないが、野火の見張り台であったとする説が有力、とのことである。周辺に同じような塚が数多あったことから別名「九十九塚」とも言われているらしい。

野火止塚解説板

野火止塚と紅葉の若葉


<業平塚>
業平塚は野火止塚からさらに丘の際に近いところにある。

業平塚

伊勢物語の故事、在原業平が東下りの折りに駒を止めて休んだ、という伝説に因んで後世になって名づけられたようだ。

業平塚

古くは塚上に和歌の石碑(むさし野にかたり伝えし在原のその名を忍ぶ露の古塚)があったようであるが、その歌碑は失われて今はない。それどころか、塚そのものも削られてしまったのか、野火止塚に比べるとだいぶ小さくなってしまっているようだ。

業平塚解説板


新座市史によれば新座市域に古墳は現存せず、かつては古墳と言われたいくつかの塚はいずれも調査によって後世のものであることが判明したという。したがい、野火止塚も、業平塚も、いずれもこれを古墳と考える余地はなさそうである。

しかしながら(古墳好きとしては)、野火止塚の起源は野火の見張りのため、という点については、野火の見張り台が果たして(例えであって実際にそんなにあった訳ではなかろうが)九十九も必要だろうか、と思う。焼畑を広めた新羅系の人々が墳丘を伴う墳墓を全く築かなかった、というのも幾分不自然ではないか、とも思う。
群集墳の墳丘が後世、物見塚として再利用される例はよくあることであり、野火止台でも一段と高い平林寺の丘に、往古、墳丘を伴った墳墓が数多築かれ、後世、これを野火の見張り台に転用したか、もしくは焼き畑を伝えた渡来人に関連した伝承としてそのように伝えられてきたのではないのだろうか、などと妄想してしまう。

野火止塚遠望

業平塚遠望

塚の起源はともかく、雑木林の中は濃密な自然に満ち溢れており、草木が春を謳歌している。

平林寺境内林

桜は盛りを過ぎているが、楓の新緑が目に鮮やかだ。

平林寺境内林新緑

足許では平林寺スミレだろうか、紫の可憐な花があたり一面を埋め尽くすように咲いている。

平林寺境内林の菫

平林寺境内林の菫

花咲く野原、何やら夢のような光景に年甲斐もなくうっとりしていると、傍らの木立から初老の男性が二人、雑木林への施肥を済ませ、晴れ晴れと歩み出てきた。

平林寺境内林

幻想の世界から、一瞬にして現実へ。出物腫れ物所嫌わず。

平林寺の桜


(参考資料)
「新座見聞録 第1回 野火止のつか」 新座市ホームページ
http://www.city.niiza.lg.jp/site/niiza-kenbunroku/bunkazai-kenbun001.html
「新座市史」 新座市立図書館デジタルアーカイブ http://www.lib.niiza.saitama.jp/contents?0&pid=68

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