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2017/03/10

坂戸台地 飯盛川右岸の古墳群(5)(埼玉県坂戸市 胴山古墳(新町古墳群))

勝呂神社古墳から坂戸台地の北の縁を西へ1kmほど行くと新町という場所があり、ここにも古墳群がある。前方後円墳1基、円墳8基、方墳1基から成る新町古墳群と呼ばれる古墳群である。
主墳の胴山古墳は墳丘が残っているが、その他大半は宅地開発などで失われてしまったようだ。

台地上を西に進むと、間もなく畑の向こうにこんもりとした森が見えてくる。

坂戸胴山古墳01北から遠望

畑の中の細路を進むと、西側の墳裾が見えてくる。こちらが前方部である。

坂戸胴山古墳02西側前方部墳裾

以前は解説板が設置されていたらしいが、現在では古墳の存在を示すものは何もなく、むしろドラム缶やブルーシートなどが放置されていて荒れた印象を受ける。

坂戸胴山古墳03西側墳裾

古墳の規模は全長63.2m、二段築盛の前方後円墳で、前方部を西に向けている。後円部の高さは6.9m、前方部は長さ31.2m、高さ6.1mで、測定時期は異なるが後円部径35m、前方部幅40mという数字も残されている。

墳裾北側の道は細いが、そのまま半周して、後円部北側まで到達できる。

坂戸胴山古墳04東側後円部墳丘

「埼玉の古墳」に墳丘の測量図が掲載されているが、東側は後円部の一部が耕作用地として直線的に削り取られているため、見た感じはどちらも前方部のように見える。

坂戸胴山古墳05東側墳裾

南側は企業の駐車場になっていて接近しづらいが、こちら側の変形は著しく、墳頂直下近くまで無残にえぐり取られており、ローマ字の「H」か「M」に近い形になってしまっている。周辺の窪地埋め立てのための用土として墳丘の土が使われてしまったようであるが、その際、埋葬施設も破壊されてしまい、石室材の一部が勝呂神社の境内に移設されて保管されている、ということらしい。以前は設置されていた解説板では「厚さ40cm、3m四方の黒褐色巨石」が胴山古墳出土のものとされていたようだ。
なお、元宿という場所にかかっていた鬼橋という橋の石材も胴山古墳の石室材ではないか、と言われているらしい。

坂戸勝呂神社古墳10石室材

周辺にかつて存在した古墳群としては、古くは胴山古墳の陪塚と考えられていた愛宕塚古墳、稲荷塚古墳のほか、お伊勢原古墳、新町古墳(9号墳、直径15m、全長3.8mの川原石造の横穴式石室)、方墳太子塚古墳(10号墳、別名おてし様?)などの存在が伝わっている。このうちいくつかは土地所有者の好意で開発前に発掘調査がなされ、既に墳丘は失われていたが、周溝の一部などが確認されているそうだ。「埼玉の古墳」の古墳分布図では凡そ300m四方の狭い範囲に10基もの古墳が存在しているが、分布が偏在しているように見えることから、調査されずに湮滅してしまった古墳はもっともっとたくさんあったのではないか、と思う。

坂戸胴山古墳06墳丘上の青空

そう思って調べていたところ、少し南にある大智寺という寺院の近くに塚が3基並んでいる場所があるそうだ。守屋塚、天神社、稲荷塚の3基が今でも残っているらしく、中世の十三塚の跡とも考えられるそうである。機会があれば訪れてみたい。(大智寺には鬼橋の石材も保存されているそうだ。)

坂戸胴山古墳08石井庚申塔

写真は上述の塚ではなく、石井上宿集会所近くで見かけた一面六臂の仏様と庚申塔である。全身が擦り減ってしまって痛そうであるにも関わらず、表情は穏やかそうに見える。背後の畑では、農家の老人がのんびりと、トラクターで種まきのための畝作りをしている。

坂戸胴山古墳09石井庚申塔

ここでは時間の流れ方が違うのかも知れない、と思う。
つくづく、人生というものは、奥深い。


(参考資料)
「埼玉の古墳 北足立・入間」 塩野博氏 さきたま出版会 2004年9月
「探訪 武蔵の古墳」 野崎正俊氏 新人物往来社 1998年1月
「埼群古墳館」 http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/
「坂戸市に残る鎌倉街道伝承」 http://michis27.main.jp/sakado-KD-folder/sakado-KD2.html

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