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2017/03/10

坂戸台地 飯盛川右岸の古墳群(3)(埼玉県坂戸市 義家塚/稲荷山古墳/天神さま古墳(塚越古墳群))

東光寺前の道を何度か右左折しながら西へ1kmほど行くと、右手に大宮住吉神社の森が見えてくる。

01 坂戸大宮住吉神社 参道

大宮住吉神社は境内の広々とした印象的な佇まいで、創建は平安時代の天徳3年(959年)だそうだ。

02 坂戸大宮住吉神社 境内

源義家が奥州征伐に向かう際、越辺川が増水して渡河できず、この地に宿陣して大宮住吉神社に戦勝と河川の減水を祈願して陣鐘を奉納したという伝承があるとのことで、その功績からだろうか、文治3年(1187年)に源頼朝から北武蔵十二郡総社として認められたそうだ。由緒のある古社で、江戸時代からの古様の里神楽が伝わっているそうだ。

03 坂戸大宮住吉神社 解説

早咲きの桜だろうか、陽光が透けて花そのものが光っているように見える。

04 坂戸大宮住吉神社 桜

いろいろと趣きの深い土地柄のせいか、なかなか古墳に辿り着かない。

<義家塚(塚越3号墳)>
大宮住吉神社前の道をそのまま西に進むと旧川越街道(県道256号線)にぶつかるが、その少し手前、古くは「南馬場」と呼ばれたあたり、道沿いに解説板と小さな鳥居の立つマウンドが忘れかけられたかのようにあった。

05 坂戸義家塚 遠景

源義家が宿陣した際、村の西方のこの地にあった古塚に腰掛けたことから「塚の腰」と名付けられ、その名が現在の「塚越」の発祥となったそうだ。

06 坂戸義家塚 解説

「塚越神社」は頼朝が義家の忠魂を勧請したもので、明治になって大宮住吉神社に合祀されたようであるが、以前はここに社があって、「義家塚」、「義家明神」と呼ばれていたらしい。
小さな祠が今でもぽつんと乗っている。

07 坂戸義家塚 近景

調査の結果、直径9mの円墳で、横穴式石室が確認されたようである。
「新編武藏國風土記稿」には「大サ四五間四方 高サ六尺許」とあるので、大きさは変わらないが、高さは江戸時代は今よりもやや高かったようだ。

08 坂戸義家塚 墳丘


この他にも塚越古墳群には2基の円墳があるらしいのだが、この日は、すぐ横を通過していながら見つけることができなかったため、以下、帰宅後にネット他で調べてみた。

<稲荷山古墳(塚越2号墳)>
大宮住吉神社の南西300mほどのところにある(あった?)円墳で、「坂戸市に残る鎌倉街道伝承」というホームページによると、神社前の弁天池から南西方向に、同じものかわからないが、塚状のマウンドが見えたらしい。
下の写真はこの日、何気なく撮ったものだが、もう少し右の方を向いていればマウンドが映っていたかも知れない。

09 坂戸大宮住吉神社 弁天池

平成2年に発掘調査が行われ、河原石を用いた胴張り型の横穴式石室が確認されたほか、耳環や太刀などの副葬品が見つかったらしいが、Googleストリートビューでは見つけられなかったので、開発に先立つ発掘調査だったのだろうか。

10 坂戸稲荷山古墳跡?(Googleストリートビュー)

11 坂戸稲荷山古墳跡?(Googleストリートビュー)


<天神さま(天神山)古墳(塚越1号墳)>
義家塚から東に100mほど戻ったあたり、道が緩くカーブしているあたりにあるようだ。

12 坂戸天神さま古墳(Googleストリートビュー)


直径30mと一回り大きな円墳のようで、情報がなく高さは不明だが、ストリートビューで見る限り2mほどはありそうに見える。

13 坂戸天神さま古墳(Googleストリートビュー)


(参考資料)
「埼玉の古墳 北足立・入間」 塩野博氏 さきたま出版会 2004年9月
「埼群古墳館」 http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/
「坂戸市に残る鎌倉街道伝承」 http://michis27.main.jp/sakado-KD-folder/sakado-KD2.html

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