FC2ブログ
2017/03/07

住宅地に残る「前方円墳」?(東京都府中市 高倉塚古墳(高倉古墳群))

10年ほど前、会社勤めをしていた頃に仕事で分倍河原へ暫く通っていたので、高倉塚古墳という名は以前から目にしていたが、実際に訪れる機会はこれまでなかった。
熊野神社古墳を見た後、陽が沈むまでまだ時間があったので、急いで行って見ることにした。春めいてきてだいぶ陽も長くなったので、古墳巡りもなかなか効率がよい。

高倉塚古墳は、南向きのなだらかな斜面に広がる高台の住宅地にあった。思いがけず大きな墳丘だ。

府中高倉塚古墳(北から)

国府に近いことから、古くから国造、国司の墳墓であるという言い伝えがあり、信仰の対象とされてきたらしく、武蔵名勝図会や新編武蔵風土記稿にも「高座塚」、「高倉塚」としてその名が見えるそうだ。

府中高倉塚古墳解説板

このあたりでは府中崖線を「ハケ」と呼ぶそうで、高倉古墳群はこの「ハケ」上の斜面に30基ほどの古墳が確認されているようだが、墳丘が残るのはこの高倉塚古墳を含め数えるほどしかないようだ。

府中高倉塚古墳周辺図

墳形は直径20m、高さ2.5mの円墳とされているが、1995年に出版された「多摩地区所在古墳確認調査報告書」によると、以前は墳丘一面、笹や木々で覆われており、北側墳裾は削平されていて今よりも傾斜が急だったらしい。東西の長さ21.7mに対して南北は15.9mと細長く、墳頂から西に向かって墳丘が尾根状に張り出ていたことから、50年ほど以前は「前方円墳」と呼ばれていたらしい。

府中高倉塚古墳(南から)

その後、復元整備されたのか、墳丘はほぼ円錐状に見えるが、西側(上の写真では向かって左側)は住宅敷地が墳丘に食い込んでいる。それでも墳丘が保存されたのは貴重なことだと思う。

そう思って見ると、墳丘からの眺めはやはり一味違う感じがする。

府中高倉塚古墳(墳頂から北方向)

子供の頃、滑り台の上から周囲を見下ろした時の高揚感のような不思議な感覚が、何故だか急に蘇った。今も昔も、人間の発想というものは案外、こんな単純なものなのかも知れない。


(参考資料)
「多摩地区所在古墳確認調査報告書」 多摩地区所在古墳確認調査団(1995年3月)

コメント

非公開コメント