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2017/02/16

猿埴輪を現代に伝えた帆立貝式前方後円墳(茨城県行方市 大日塚古墳/権現山古墳(沖洲古墳群))

勅使塚古墳から国道355号線を南東に600mほど、緩やかに丘陵を上った先に、沖洲古墳群のひとつである大日塚古墳がある。

大日塚古墳 西側より

大日塚古墳は6世紀後半に築造された全長40m、後円部直径30m、高さ6m、前方部長10m、高さ3mの帆立貝式前方後円墳で、西側に前方部、東側後円部の北側に雲母片岩板石組の横穴式石室が露出しているという。

大日塚古墳 西側墳裾

周囲を農道が迂回するように半周しているが、前方部のある西側は国道に面した南側(上の写真で右奥)にあり、墳丘に上らないと前方部は確認できなさそうである。

大日塚古墳 西側墳裾

墳頂には祠が落葉に半ば埋もれるように祀られているらしいが、勅使塚古墳と違い、こちらは下草も多く、残念ながら墳丘に上るのは断念した。

大日塚古墳 北側より

後ろ髪を引かれる思いで北側から墳丘を観察してみたが、露出しているという石棺は見えなかった。

大日塚古墳 北側墳丘

大日塚古墳は国の重要文化財に指定されている猿埴輪が出土した古墳だそうである。猿埴輪は猿を象った珍しい形象埴輪で、両手と下半身が失われているが、背中に剥離痕があり、子供の猿を背負っていたのではないか、とされている。顔を横に向けていることから、背中の子猿を気遣って振り返っているように見える。顔には朱が塗られていたらしいが、そう思いながら見ると表情が少し柔らかいようにも思える。貴重な朱を使用したところからすると、古墳の埋葬者は猿の親子と何か繋がりがあったのだろうか。
いずれにしても、このあたりに暮らしていた古墳時代の人々の文化的な精神性というか、感受性のようなものは、現代の我々よりも遥かに豊かだったのであろう。

<権現山古墳>
なお、現地では気が付かなかったが、帰宅してからいろいろと調べていると、勅使塚古墳と大日塚古墳のちょうど中間あたり、国道の南側に権現山古墳という古墳があったらしい。平成7年に当時の玉造町教育委員会が発行した「三昧塚古墳発掘調査報告書」によると、常福寺の少し北側あたりに前方後円墳のマークが描かれている。

グーグルアースやストリートビューで現地付近を見ても、それらしいものは見当たらないが、常福寺には桜の樹がたくさんあるようだ。4月になったら是非再訪してみたいところである。

常福寺周辺(Googleストリートビュー)


(参考資料)
「三昧塚古墳発掘調査報告書」 平成7年 玉造町教育委員会
「埼群古墳館」 http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/