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2017/02/07

秋留台地の方墳と三角形の古墳(東京都あきる野市 大塚古墳/あきる野市遺跡番号71番古墳)

あきる野市で新しく仕事が始まることになり、準備のため秋川駅の近くに出かけることになった。
所用は全て15時前に完了したので、日没までの時間を使って近辺の古墳を2つほど見たいと思う。

あきる野市は旧秋川市と旧五日市町が合併してできた市で、旧秋川市はあきる野市の東部、北に平井川、東に多摩川、南に秋川が流れ、これらの河川が削りだした河岸段丘である秋留台地の上に市街地が広がっている。
この秋留台地は奥多摩の山々を西に望む風光明媚なところで、丘陵の縁には湧水も多く、奈良時代には「小川牧」という朝廷の馬を飼育する「御牧」(ミマキ)の置かれた土地だそうだ。この馬の飼育技術はもともと朝鮮半島からの渡来系の人々がもたらした文化のようで、このあたりは古代、こうした渡来系集団が支配していた地域で、そのためか、多摩地方は「積石塚」と呼ばれる川原石を積み上げたような、比較的低い墳丘を持つタイプの古墳が多く見られる地域である。

<大塚古墳>
秋川駅から東に600mほど、「あきる野市役所前」交差点の南西に「大塚公園」という名の公園があり、その南端に、見上げるほどの高さに祠を祀る「大塚古墳」が保存されている。

あきる野大塚古墳

あきる野市のホームページによると、大塚古墳は王塚古墳とも呼ばれ、周囲130m、高さ6mと高い墳丘を持ち、現在ではほとんど円形に見えるが、築造当初は四角錐の方墳だったものと思われ、有名な積石塚古墳である瀬戸岡古墳群とは比較にならないほど規模が大きい、とある。

あきる野大塚古墳

確かに大きいが、大きさの割に背が高い印象。

あきる野大塚古墳

現地の解説板は平成24年に新設されたもので、昭和57年の測量調査によれば一辺33m、高さ8mの方墳の可能性が高いが、平成5年の発掘調査では周溝が確認されず、墳丘の盛土が古墳とは異なるため、塚の可能性も考える必要がある、とある。

あきる野大塚古墳解説

南側の道路から墳頂の祠へ上がる階段がある。

あきる野大塚古墳

あきる野大塚古墳(墳頂)

上ってみると周囲の民家が足下に見える。

あきる野大塚古墳(墳頂より)

下から見上げても判別しづらいが、墳頂から四方を見ると方墳の角がわかるらしい。

あきる野大塚古墳(墳頂より)

西陽が眩しい。今日は綺麗な夕陽が見れそうだ。

あきる野大塚古墳(墳頂)


<あきる野市遺跡番号71番古墳>
大塚古墳の前の道を東へ2km、左右に畑が広がり視界が開けてきたあたりで北へ左折すると、畑の真ん中、十字路の角に立派な木が立っているのが見える。

あきる野71号古墳

古墳に名前は付けられていないようであるが、東京都教育委員会の「東京都遺跡地図」、「遺跡一覧」では、古墳の大きさは10m四方で高さは1mとされているが、南側と東側が道路で削られている上に、北側も畑で変形して三角形のようになっており、コンクリートで固められた角はショートケーキのように見える。

あきる野71号古墳


ご~ご~ひでりんさんの「古墳なう」によると、この古墳の東側には「金の延べ棒」が埋められている、という伝承があって、以前、道路工事の際に壺が発掘されたが、中からは一振りの刀が出てきたのみで、金の延べ棒はまだ見つかっていないそうだ。

あきる野71号古墳

墳頂の大木は榎の木で、旧秋川市の保存樹木になっている。

あきる野71号古墳

僅かに残った墳丘は折しも水仙が一足早い春の訪れを告げている。立春は過ぎたが、まだ風は冷たい。

あきる野71号古墳(墳頂の水仙)

夕陽が傾いて、奥多摩の山々が黒く浮かび上がっている。古墳時代の人々もこうした景色を見ていただろうか。

あきる野71号古墳

この辺りは平沢という字名であり、平井川沿いの浅い平らな谷地形を表しているらしい。古墳から北上すると道は下りになり、さほど深くないが平井川が谷底を流れている。思いがけず鉄橋がかけられており、谷の向こう側から振り返ると、川面が夕陽で光っている。

あきる野平井川夕景


東秋留橋で秋川を渡る頃、太陽は山の端に隠れ、夕焼けの残り雲が残照に照らされていた。

あきる野秋川夕景


(参考資料)
「あきる野市の歴史に触れる」 あきる野市 http://www.city.akiruno.tokyo.jp/0000001148.html
「東京都遺跡地図 遺跡一覧」 http://www.syougai.metro.tokyo.jp/iseki0/iseki/list/ruins/13228/228ruins.htm
「古墳なう ご~ご~ひでりんの古墳探訪記」 http://gogohiderin.blog.fc2.com/

あきる野大塚古墳地図

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