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2017/01/11

高級住宅街の前方後円墳(大阪市住吉区 帝塚山古墳)

久々に大阪に行くことになった。
関東の古墳でさえ、まだまだ見たいものがたくさんある中、著名な古墳が目白押しの近畿地方に私のような素人が手を出すのは失礼にあたるのではないか、と思っていたが、どうせ行くのであれば、せっかくなのでやはり見たい。
宅地化の進んだ大阪市内にもいくつか古墳が残っており、中でも帝塚山古墳は難波からも近く、しかもほぼ完全な形の前方後円墳だそうだ。

難波には仕事で何度も来ているはずだが、難波駅には見覚えがなかった。行き止まり式の櫛型ホームは「これぞターミナル」という感じがする。
帝塚山方面行きの各駅停車は中央改札から離れた1番線にひっそりと停まっていた。南海電車を見て、小学生時代、級友の誰もがジャイアンツの帽子を被る中、天邪鬼な自分は南海の野球帽を被っていたことを思い出した。

今宮戎の賑わいを車窓に見ながら、南海電車はやがて帝塚山に到着した。ホームも駅舎もえらくこじんまりとしていて、初めてなのにどことなく懐かしい。見れば踏切の向こうに帝塚山古墳が見えている。

帝塚山古墳遠景

帝塚山古墳は大阪城の付近から南に細く伸びる上町台地にある国指定史跡であるが、「住吉村常盤会」という一般財団法人が所有する民有地で、年に何回か一般開放されるようであるが、通常は施錠されていて、門外漢は塀の外からのぞき込むぐらいしかできない。

帝塚山古墳

塀の外からでも見事な墳丘がよく見える。

帝塚山古墳

帝塚山古墳

門扉横の解説板によると、4世紀末から5世紀初めの築造とされ、当初の規模は全長120m、後円部直径57m、高さ10m、前方部幅50m、高さ8m、二段築盛で墳丘上には円筒埴輪や葺石、周囲には周濠も確認された、とある。

帝塚山古墳解説板

「住吉村常盤会」のHPを見ると、このあたりは古くは「玉出岡」、古墳は「玉手塚」と呼ばれたことが「帝塚山」の語源、とある。古墳の被葬者は住吉に居宅のあった大伴金村とも言われるが、摂津名所図会では鷲住王の墓とされるほか、地元では浦島太郎の墓である、という伝承もあるらしい。

北側住宅街の間から

周囲を一周してみたが、東側以外は住宅が密集していて、墳丘はあまり見えないようだ。括部あたりであろうか、北側のお宅の間から失礼して撮影させてもらう。きっと不審者に見えているのだろうなあ・・・。

帝塚山古墳の周囲は古来、多くの古墳が群集していたらしく、古墳の東側、南海電車の線路のあたりには「大帝塚」という字名の地域があり、以前は「大玉手塚」あるいは「大帝塚」と呼ばれる、一回り大きな前方後円墳があったらしい。「大阪市遺跡地図」を見ると後円部が南を向いた、今の帝塚山古墳とは反対向きだったようだ。
さらに、古墳の南側、現在の住吉中学校付近にも別の古墳があったようで、こちらは「小玉手塚」あるいは「小帝塚」と呼ばれたらしい。

さらにもうひとつ、「大帝塚」のさらの東側、同じく住吉村常盤会が所有する万代池公園の北側からも、墳丘は失われていたが、帆立貝式古墳の痕跡が発見されているらしい。帝塚山東一丁目で平成16年に発見されたもので、後円部直径29m、前方部長6m、同幅17mで、万代古墳と名付けられたそうだ。

帝塚山の南方向を望む

周辺を一周しつつ、いにしえの風景に思いを馳せていると、あっという間に仕事の時間が近づいてきた。

帝塚山住宅街


(参考資料)
「一般財団法人住吉村常盤会」 http://sumiyoshimuratokiwakai.or.jp/index.html
「大阪市遺跡地図」 公益財団法人大阪市博物館協会 大阪文化財研究所http://www.occpa.or.jp/ikou/isekiinfo/isekiinfo.html

帝塚山古墳地図