崖上のシンプル?な富士塚(所沢市 安松神社富士塚)
今回は所沢市の以前から気になっていた神社にある、富士塚っぽくない?富士塚である。
所沢市の南東、下安松にある安松神社は大正3年、近隣にあった6社を合祀するため、長源寺から土地を譲り受けて創建されたそうである。
6社というのは上安松村にあった稲荷神社、八雲神社、神明社、日枝神社と、下安松村にあった氷川神社、五社稲荷神社だそうだが、このため祭神は倉稲魂命、素盞嗚命、稲田姫命、大己貴命、天照大御神、大山咋命の六柱となっていて、古くは境内に覆屋を設けて合祀した六社を祀っていたそうだが、昭和26年に駐留軍兵士の放火により火災で焼失してしまったそうである。
その後、安松小学校にあった奉安殿を本殿としていたが、昭和48年になって現在の社殿が新築されたのだそうだ。
神社は柳瀬川の河岸段丘の縁に位置しているので見晴らしがよく、境内からの景観は所沢市の景観資源に指定されているらしい。
さて、富士塚であるが、よく見かける富士塚とは少し雰囲気が異なっているように思う。
富士塚は境内、本殿の目の前にある。
この塚は埼玉県遺跡地図では「江戸時代」の「塚」とされている。
そもそも富士塚というのは本物の富士山まで行くことができない講の人々のために、地元での「登山」を目的として作られたものではないかと思うけれど、ここの富士塚は、うっすらと踏み跡のようなものはあるけれど、頂上まで上るための九十九折りの「登山道」は見当たらない。
「山の上に自転車であがってはならない」とあって、そうでもしないと自転車で上ってしまうようなツワモノがいるのかも知れない。徒歩であれば上ってもいい、という意味にも読めるけれど、どことなく立ち入りが憚られるような厳かな雰囲気ではある。
一見したところ頂上に浅間神社などの祠があるようには見えないし、中腹に溶岩や石碑の類も立っておらず、至ってシンプルな土のマウンドである。
周囲はぐるりと一周でき、裾の部分は全てコンクリートで綺麗に固められているが、形は四角ではなく、多角形になっているようだ。
塚の表面の土は、踏み固められたのだろうか、ところどころだいぶ硬そうにも見えるので、古墳に見られる版築の痕跡だったりするのではないかしら、と思ったりする。
場所的にも河岸段丘の縁にあるので、古墳好きとしてはこれは元々古墳だったのではないかしら、いやきっとそうだ、そうに違いない、と勘繰りたくなる(いや、当人はもはやそう思い込んでいる)ところだが、「埼玉県埋蔵文化財情報公開ページ」の「所沢市遺跡地図」を見ると「塚(江戸時代)」となっているので、大正3年の移転以前から既に富士塚として認識されていたもののようではある。
それでも何となく諦めきれずに地元在住の方のブログなどを見ていると、その方曰く、昔、この近辺に土器を拾いに来たことがあるそうなので、すわ、やっぱりここは移転前からあった古墳を転用したものなのではないか、と一瞬歓喜に包まれかけたけれど、冷静になってよく調べて見れば、神社の北西一帯は「下安松遺跡」という弥生時代の窯跡遺跡などを含む包蔵地のようであるので、見つかった土器類はこちらからの出土物であって、残念ながら古墳から出てきたものではないようだ。
ところで、「今昔まっぷon the web」で周辺の変遷を見ると、明治時代にはやや東、現在の武蔵野線の路盤あたりに鳥居のマークがあって、下安松通りから一直線に参道が描かれている。大正6年の地図ではそこに鳥居マークは見当たらないので、もしかするとこれが移転前の6社のうちの1社であったのかも知れない。
富士塚の脇にも「元宮」という扁額の掛かった社が建っているが、元宮というからにはここに元々の祠があった、ということなのだろうけれど、移転前の6社のうちの1社ではなくて、昭和26年に焼失してしまった合祀後6社の旧社殿のことなのかも知れない。
今回はあまり情報も見当たらず、内容が「ようだ」とか「らしい」ばかりになってしまったけれど、雰囲気的には古墳マニアの心を掴んで離さない、どうにも気になる「富士塚」?であった。(当人はまだ古墳だったんぽいんじゃね?と思っている。)
<投稿:2022.5.7>
(参考)
「埼玉県埋蔵文化財情報公開ページ」 https://www.pref.saitama.lg.jp/isekimap/index.html
「毎日がレビュー 所沢 安松神社のお山」 2006年6月 Tobaさん toba.livedoor.biz/archives/50519081.html
「今昔マップ on the web」 http://ktgis.net/kjmapw/index.html
所沢市の南東、下安松にある安松神社は大正3年、近隣にあった6社を合祀するため、長源寺から土地を譲り受けて創建されたそうである。
6社というのは上安松村にあった稲荷神社、八雲神社、神明社、日枝神社と、下安松村にあった氷川神社、五社稲荷神社だそうだが、このため祭神は倉稲魂命、素盞嗚命、稲田姫命、大己貴命、天照大御神、大山咋命の六柱となっていて、古くは境内に覆屋を設けて合祀した六社を祀っていたそうだが、昭和26年に駐留軍兵士の放火により火災で焼失してしまったそうである。
その後、安松小学校にあった奉安殿を本殿としていたが、昭和48年になって現在の社殿が新築されたのだそうだ。
神社は柳瀬川の河岸段丘の縁に位置しているので見晴らしがよく、境内からの景観は所沢市の景観資源に指定されているらしい。
さて、富士塚であるが、よく見かける富士塚とは少し雰囲気が異なっているように思う。
富士塚は境内、本殿の目の前にある。
この塚は埼玉県遺跡地図では「江戸時代」の「塚」とされている。
そもそも富士塚というのは本物の富士山まで行くことができない講の人々のために、地元での「登山」を目的として作られたものではないかと思うけれど、ここの富士塚は、うっすらと踏み跡のようなものはあるけれど、頂上まで上るための九十九折りの「登山道」は見当たらない。
「山の上に自転車であがってはならない」とあって、そうでもしないと自転車で上ってしまうようなツワモノがいるのかも知れない。徒歩であれば上ってもいい、という意味にも読めるけれど、どことなく立ち入りが憚られるような厳かな雰囲気ではある。
一見したところ頂上に浅間神社などの祠があるようには見えないし、中腹に溶岩や石碑の類も立っておらず、至ってシンプルな土のマウンドである。
周囲はぐるりと一周でき、裾の部分は全てコンクリートで綺麗に固められているが、形は四角ではなく、多角形になっているようだ。
塚の表面の土は、踏み固められたのだろうか、ところどころだいぶ硬そうにも見えるので、古墳に見られる版築の痕跡だったりするのではないかしら、と思ったりする。
場所的にも河岸段丘の縁にあるので、古墳好きとしてはこれは元々古墳だったのではないかしら、いやきっとそうだ、そうに違いない、と勘繰りたくなる(いや、当人はもはやそう思い込んでいる)ところだが、「埼玉県埋蔵文化財情報公開ページ」の「所沢市遺跡地図」を見ると「塚(江戸時代)」となっているので、大正3年の移転以前から既に富士塚として認識されていたもののようではある。
それでも何となく諦めきれずに地元在住の方のブログなどを見ていると、その方曰く、昔、この近辺に土器を拾いに来たことがあるそうなので、すわ、やっぱりここは移転前からあった古墳を転用したものなのではないか、と一瞬歓喜に包まれかけたけれど、冷静になってよく調べて見れば、神社の北西一帯は「下安松遺跡」という弥生時代の窯跡遺跡などを含む包蔵地のようであるので、見つかった土器類はこちらからの出土物であって、残念ながら古墳から出てきたものではないようだ。
ところで、「今昔まっぷon the web」で周辺の変遷を見ると、明治時代にはやや東、現在の武蔵野線の路盤あたりに鳥居のマークがあって、下安松通りから一直線に参道が描かれている。大正6年の地図ではそこに鳥居マークは見当たらないので、もしかするとこれが移転前の6社のうちの1社であったのかも知れない。
富士塚の脇にも「元宮」という扁額の掛かった社が建っているが、元宮というからにはここに元々の祠があった、ということなのだろうけれど、移転前の6社のうちの1社ではなくて、昭和26年に焼失してしまった合祀後6社の旧社殿のことなのかも知れない。
今回はあまり情報も見当たらず、内容が「ようだ」とか「らしい」ばかりになってしまったけれど、雰囲気的には古墳マニアの心を掴んで離さない、どうにも気になる「富士塚」?であった。(当人はまだ古墳だったんぽいんじゃね?と思っている。)
<投稿:2022.5.7>
(参考)
「埼玉県埋蔵文化財情報公開ページ」 https://www.pref.saitama.lg.jp/isekimap/index.html
「毎日がレビュー 所沢 安松神社のお山」 2006年6月 Tobaさん toba.livedoor.biz/archives/50519081.html
「今昔マップ on the web」 http://ktgis.net/kjmapw/index.html
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