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2017/01/10

北浦東岸の一大古墳群(2)(茨城県鹿嶋市 宮中野古墳群 小町塚古墳、大塚古墳(勅使塚古墳))

夫婦塚古墳の南側には、鹿行水道事務所の浄水場が広がっている。かつてはあたり一面、雑木林の中に無数の古墳が散らばっていたのだろうか。往時の光景は想像してみるしかないが、もし全ての墳丘が残されていたなら、宮崎の西都原古墳群のような観光資源になっていたのではないだろうか、などと思う。

それでも浄水場の周辺にはまだいくつかの古墳が残っていて、周囲の風景の中に溶け込んでいる。


<小町塚古墳>
浄水場の南東側、民家が途切れて道が砂利道に変わった先、畑の中にぽっかりとある。

小町塚古墳遠景北から

遠くから見ると、道路側は造成の際の盛土で墳裾部分が埋まってしまっているようだが、墳丘部分は比較的キレイな形状。

小町塚古墳近景

接近して見ると、道路側墳丘は埋まっているだけでなく削られているように見える。

小町塚古墳南から

解説板などは見当たらず、詳細不明だが、「埼群古墳館」さんによると、直径23m、高さ4mの円墳で、古くから知られており、「新編常陸国誌」でも紹介されているらしい。


<大塚古墳(勅使塚古墳)>
小町塚古墳から浄水場の周回道路をさらに南へ進むと、左側に大きな雑木林が迫ってくる。これが大塚古墳の墳丘である。

大塚古墳遠景(南から)

少し通り過ぎて南側から振り返ると、墳丘の全容が見える。全長90m、高さ7mと大型の帆立貝式古墳で、造出部がちょうど手前側、南西を向いているらしい。

大塚古墳遠景(南西より造出部のあたり)

昭和57年の調査の結果、「横口式石槨」という珍しい埋葬施設で、周堀から墓道が作られていたそうだ。
別名「勅使塚」とも呼ばれ、都から遣わされた役人が病で倒れて葬られたもの、という伝承があるらしい。こうした伝承は各地で耳にするが、当時は都から遠く離れた東国への赴任は精神的にも肉体的にも大変だったことだろう。

大塚古墳

そんなことを思って見る青空はどことなくセツナイ

大塚古墳から見上げた空

(参考資料)
「鹿嶋デジタル博物館」鹿嶋市教育委員会 http://kashimashi.info/bunkazai/
「埼群古墳館」 http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/