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2018/06/10

古代出雲玉作遺跡と周辺の小円墳(島根県松江市 玉作湯神社/玉作遺跡、徳連場古墳、記加羅志神社址古墳)

2018年6月、梅雨時の出雲の旅も今日が最終日である。
昨晩は玉造温泉に宿泊した。宿は鉄筋コンクリートでやや風情には欠けるけれど、街は古き良き昭和の香漂う、懐かしくて心地よい温泉街であった。

<玉作湯神社/玉作遺跡>
昨日は一日、古墳ばかり見て回ったので、今日は同行の家人の希望を優先したいと思う。
朝食を早々に済ませた後、まずは温泉街の南端近くにある「玉作湯神社」に参拝した。

01 玉作湯神社鳥居

02 玉作湯神社社殿

不勉強で知らなかったのだが、この神社は願い事が叶うスピリチュアルスポットとして有名なのだそうで、小雨模様にも関わらず、道理で境内は若い女性の姿が多い。
祭神は温泉や温泉療法に所縁の深い大名持命(大国主命)と少彦名命、玉作りの神である櫛明玉命(クシアカルダマノミコト)の三柱で、境内の一部からは古代の玉作遺跡が見つかっているそうだ。

03 玉作遺跡解説版

04 玉作遺跡収蔵庫

さて、家人の次なる要望は「宍道湖畔で鯛めし」とのことなので、これから松江市内へ移動しようと思うが、移動前に少しだけ、この周辺の古墳を見せてもらおうと思う。

<徳連場(とくれんば)古墳>
温泉街の東側、丘陵上に「出雲玉作資料館」があるが、その北側、林道のような道を少し上った林の中に、「徳連場古墳」という変わった名前の古墳がある。

05 徳連場古墳遠景

「徳連場」というのは古墳の所在地の字名らしい。玉作遺跡の近くにあるだけあって、被葬者は玉作りと密接な関係を持った人物と考えられているようだ。

06 徳錬場古墳解説版

墳形はこの地方としてはやや珍しい(?)円墳とされ、直径は8.5m、高さは1.5m、東側を除く三方には堀が巡っているらしい。

07 徳錬場古墳近景

主体部はわずかに胴張りのある凝灰岩の割竹形の舟形石棺で、蓋、身いずれも突起があり、蓋と身の合わせ部分はそれぞれ印籠口式に加工されているのだそうだ。石棺の全長は2.37m(内法1.62m)、幅は最大で0.8m、深さは21~18cm、古式の特徴を有することから、この地域では比較的古い時代のもので、古墳時代中期、5世紀代の築造と考えられるそうだ。副葬品としては鉄剣やガラス玉が出土しているようだ。

08 徳錬場古墳石棺

周囲はすっかり林に囲まれていて、築造された当時、このあたりが一体どのような場所だったのか想像もつかないが、今はただ、爽やかな小鳥の囀りが聞こえるばかりである。玉作湯神社や温泉街の喧騒がまるで嘘のような、穏やかな場所である。


<記加羅志(きからし)神社址古墳>
徳連場古墳から東に降りていくと、県道25号線の西側は見晴らしのよいなだらかな斜面が広がっていて、この一帯は「出雲玉作史跡公園(宮垣地区)」となっている。
この一帯からは多くの玉作工房跡と製作途中の玉類の未成品、原石や砥石などが発見され、大正時代に国の史跡指定を受けた後、昭和49年に公園として整備されたそうだ。

09 史蹟出雲玉作跡解説版

古墳時代から奈良、平安時代までのおよそ500年間にわたって玉作が行われただけあって、周辺からは多くの古墳群も確認されている。
徳連場古墳の西には「徳連場横穴墓」、北方には小型の円墳数基から成る「青木原古墳群」が、また南方には消滅してしまったようだが方墳2基から成る「烏坊古墳群」が、温泉街にほど近い丘陵上には墳丘は残っていないようだが「小丸山古墳」と呼ばれる石棺式石室が残っているらしい。

史跡公園の中ほど、木立が茂った場所に「記加羅志神社址古墳」がある。

10 記加羅志神社跡古墳遠景

11 記加羅志神社跡古墳解説版

墳丘前には「史蹟 玉作址」の碑が立っている。

12 史蹟玉作址碑と記加羅志神社跡古墳

古墳は、東側で確認された弓なりにカーブした周溝跡から、徳連場古墳と同じく、直径約14mの円墳とされている。墳頂部が後世削平されており高さは不明なようだが、現存する墳丘の高さは西側から見ると2~3mほどはありそうである。埋葬施設は、天井石は失われていたが、墳丘中央から軟質凝灰岩でできた小型の横穴式石室(基底部長2.55m、玄室長1m、奥壁幅1.65m)が見つかったそうだ。石室内からは須恵器の高坏が出土、石室の形状などからも、築造時期は古墳時代後期とされている。
玉作工房跡に囲まれるように築かれていることから、古墳の被葬者は玉作の技術者集団を統括する立場にあった人物ではないか、と考えられているらしい。

13 記加羅志神社跡古墳墳頂

史跡公園一帯の字名は古くは青木原であったらしく、平家蟹さんという方のブログ「古墳のお部屋ブログ館」を拝見すると、史蹟公園内にはほかにも「青木原古墳」という古墳も保存されているようだが、見つからなかった。
「記加羅志神社」というのはスサノオノミコトを祀った神社で、大正15年に玉作湯神社に合祀されるまでここにあったらしい。墳丘上に散らばっている石は「参道の名残り」だそうである。

14 記加羅志神社跡解説版

「キカラシ」というのは菜の花の別名と同じだが、スサノオノミコトを祀る神社に菜の花の名前を冠したようにも思えない。出雲国風土記にもその名は見えず、よもや古墳の被葬者の名前、という訳でもないだろう。
「トクレンバ」もそうだが、果たしてどんな由来があるのだろう、と思う。

改めてあたりを見回して見ると、この見晴らしのよいなだらかな丘陵上のそこかしこで、遥か遠い昔、玉類が盛んに作られていた、そんな時代があったのか、と思う。
あたり一面、背の高いタンポポのような黄色い花が風に揺れるばかりであるが、まさかこの花が「キカラシ」という訳でもあるまい。

15 黄色い花

<投稿 2020.1.4>

(参考資料)
「古墳のお部屋ブログ館」 https://kofunoheya.blog.fc2.com/
「玉造 烏坊遺跡群 古墳群・集落跡・古墓群の記録」 昭和45年3月 玉湯町教育委員会
「史跡出雲玉作跡 発掘調査概報」 昭和47年3月 玉湯町
「出雲玉作跡保存管理計画策定報告書Ⅰ 宮垣地区・宮ノ上地区」 昭和61年3月 玉湯町教育委員会
「史跡出雲玉作跡 宮ノ上地区発掘調査報告書」 2009年3月 松江市教育委員会




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