FC2ブログ
2018/02/19

尾張一宮の平地古墳(2)(愛知県一宮市 西宮社古墳、上町屋古墳、野見神社古墳、でんやま古墳(今伊勢古墳群))

愛知県一宮市在住の旧知の知人宅に呼ばれたので、それまでの時間を使って、旧中島郡今伊勢村界隈の古墳を回っている。
見たい古墳はまだたくさんあるのだが、人生についてしみじみ考えだしたりしているうちに、だいぶ時間が押してきてしまった。

<西宮社古墳>
石刀神社から南西方向、石刀駅に向かって800mほど戻ると、西更屋敷地区の住宅街の中ほどに、裾をコンクリートで巻かれた一画が見えてくる。

01 今伊勢西宮社古墳遠景(北から)

「大和國古墳墓取調室」というHPによると、現状の大きさは25m×9mほど、かなり変形しており、古くは西宮社(サグチシャ)という祠が建てられていたそうである。

02 今伊勢西宮社古墳近景(北から)

「今昔マップ on the web」でこの周辺を見てみると、明治24年の地図ではこの場所に神社マークは見当たらないので、祠はそれよりも以前、相当古くに移設されたのかも知れない。

「西宮社」と言えば「えびす様」を祀る神社であろうが、ここにあった「西宮社」との関連はわからないが、800mほど北東に「西宮社」という神社が今でもあるようだ。ただし、こちらの詠みは「ニシミヤシャ」のようである。

03 今伊勢西宮社古墳近景(南から)

古墳は明治41年に調査されたらしいので、その時点では祠は既になかったのではないか、とも思える。調査の際、須恵器が出土したことから、古墳の築造時期は7世紀とされているらしい。
解説板などもなく、ただの空き地にしか見えないのが残念であるが、想像を膨らませれば墳丘上に祠が建っていた頃の光景が・・浮かばない、でもない。

04 今伊勢西宮社古墳墳丘


<上町屋古墳>
西宮社古墳前の道を西へ100mほど進むと、細い道が交差する小さな五差路に至る。五差路の右前方に見えている秋葉社のお堂の向こうに上町屋古墳の低い墳丘が見えている。

05 今伊勢上町屋古墳前の秋葉社

06 今伊勢上町屋古墳遠景

先ほどの西宮社古墳以上に、単なる空き地のようにしか見えず、知らされなければとてもこれが「古墳」だとは思わないだろう。

07 今伊勢上町屋古墳近景(南から)

手前の路地を左の方(西)に進んで振り返って見ると、円形(?)の墳裾と1.5mほどの高まりがわかる。

08 今伊勢上町屋古墳近景(西から)

「大和國古墳墓取調室」によると直径12m以上の円墳ではないか、とのことで、昭和14年の調査で川原石積みの石室が発見されたらしい。墳頂には石材が露出しているらしいが、いくら見た目は空き地でも、土足で立ち入るのは躊躇される。

09 今伊勢上町屋古墳墳丘

こちらも「今昔マップ on the web」で明治24年の地図を見比べて見ると、祠のマークは現在の秋葉社のあたりではなく、この墳丘のあるあたりに付されているように見える。「秋葉社」は「火除け」の神様とされる「秋葉大権現」を祀る社で、どうりで、少し西側一帯の字名は今でも「権現西」である。

昭和14年発行の「一宮市史」を見ると、今伊勢村馬寄には「富士塚」、「展望塚」などがある、とされている。
いずれも高さは残っていないので、「富士」にも「展望」にもとても所縁はなさそうに思えるが、西宮社古墳と上町屋古墳のいずれかが、この「富士塚」、「展望塚」に当たるのかも知れない。


さて、時計は既に15時を回っており、一宮へ戻る名鉄電車の時刻を調べると、残念ながらここでタイムアップとなった。
以降はネット上の情報だけになるが、見に行き損ねた残りの古墳についても紹介だけしておくことにしよう。

<野見神社(野見神社古墳)>
●名鉄今伊勢駅から西に400mほどの宮後地区にある。
●神社拝殿西南の竹藪の中にあり、墳丘の規模は直径20m高さ1m、周囲には周濠跡らしき低地がある。
●出土品に勾玉、石製模造品の刀子、埴輪等がある。
(出所:「延喜式神社の調査」 阜嵐健氏)

<でんやま古墳>
●野見神社から北東に300mほど。
●直径22m、高さ3.8mの円墳で、半分ほど残存していた墳丘を昭和36年に発掘調査し、管玉が出土。
●5世紀前半(前Ⅲ期)の築造と推定。
(出所:「今伊勢古墳群」 東海工務設計事務、Kon氏)
●1992年の発掘調査で竪穴式石槨が見つかり、墳丘も約40mの帆立貝形前方後円墳、築造も4世紀代の所属が推定されている。
(出所:西上免遺跡 愛知県埋蔵文化財センター調査報告書)

でんやま古墳については場所も墳丘の存否もよくわからなかったが、「今昔マップ on the web」で明治24年の地図を見ていて、でんやま古墳ではないか、と思われる塚/古墳記号のようなものを見つけた。

10 でんやま古墳?(今昔マップon the webより)

(赤矢印が「塚/古墳」記号? 「宮後」の文字の少し上が現在の今伊勢中学校のあたりで、左下の鳥居が野見神社。「今昔マップ on the web」明治24年測図、明治26年9月発行「竹鼻町(二万分の一)」より。)


石刀駅から名鉄電車に乗り、一宮に戻る車窓から遠めに見えはしないか、と思っていたが、見えたのか見えなかったのかもわからないうちに、電車は滑るように一宮駅の高架ホームに着いた。
いつの日か必ずやリベンジを心に誓いつつ、この後、旧知の知人との「飲んだくれ」の夜は静かに更けていくのであった。


(地図)
今伊勢古墳群地図


(参考資料)
「古墳マップ」 http://kofun.info/
「大和國古墳墓取調室」 馬見古墳群調査委員会 http://obito1.web.fc2.com/
「今伊勢古墳群」 東海工務設計事務、Kon氏 http://akon.sakura.ne.jp/owari/imais-ko.html
「延喜式神社の調査」 阜嵐健氏 http://www.geocities.jp/engisiki/index.html
「今昔マップ on the web」 http://ktgis.net/kjmapw/index.html





<追記> 2018/7/19
「一宮市史」では、本文で紹介したものを含め、以下の古墳が紹介されている。
残念ながら昭和14年時点で既に多くが失われてしまっていたようであるが、かつてあった古墳についての伝承だけでも、こうして目にすることができるのは幸いなことだと思う。

●宇夫須那神社境内古墳 (葉栗村大字島村)
●天子塚 (葉栗村大字島村 若栗神社附近)
●庵入塚 (葉栗村大毛神社近く)
●小塞神社境内はじめ附近に多数の古墳 (浅井町大字尾開) →【小塞神社古墳ほか現在の浅井北古墳群?】
 愛宕山古墳:開墾のため明治42年に発掘、埴輪円筒と石棺を発見
●河田の四つ塚 (浅井町大字黒岩石刀神社西方一帯、大字河田) →【浅井北古墳群?】
 葉栗人麿塚:宝永3年及び寛政2年に採土に際して石棺発見、昭和8年道路敷設に際して副葬品を多数発見 →【現在、人麿塚の碑が残る】
●冨塚 (葉栗村) →【現在の冨塚古墳?】
●鉾塚 (木曽川町福塚) →【鉾塚神社?中切遺跡の「古墳」? 字名の「福塚」は「鉾塚」の転訛?】
●富士塚、展望塚 (今伊勢村大字馬寄) →【西宮社古墳、上町屋古墳?】
●2基の塚 (今伊勢村大字宮後) →【野見神社古墳、でんやま古墳?】
 一つは徳川時代初期鏡と劔を発見、残りは近年耕地整理で破壊。いずれも野見氏関係か →【相撲と土師臣の祖 野見宿禰の一族に関係?】

●見當山古墳 (今伊勢村大字目久井) →【現在の車塚古墳】
●天背男命古墳 (稲沢町大字稲島)
●性海寺境内墳 (稲沢町大字大塚)

いずれも【 】内は私見

コメント

非公開コメント