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2018/02/19

尾張一宮の平地古墳(1)(愛知県一宮市 車塚古墳、石刀神社古墳(今伊勢古墳群))

旧知の知人から誘いを受け、愛知県一宮市へ行くことになった。
仕事を遣り繰りして昼前の新幹線に乗り、一宮駅前には13時半に着いた。
知人宅へ行くまで2時間ほどあるので、それまで古墳を見ようと思う。

一宮市は濃尾平野の中ほどにあって、尾張国一宮の「真清田神社」が鎮座している。
地盤は概ね平坦で、標高20mの北東部から、南西にむかってなだらかに下っている。市域のほぼ中央を南北に縦断する東海道線のあたりの標高は8m、西端を流れる木曽川のあたりは標高4mほどで、目立った山や丘は見当たらない。
平坦な土地でも、やはり古墳はあるもので、特に北東部には浅井古墳群など、多くの古墳が残っている。
だが、浅井地区は一宮駅から距離があり、古墳の数も2時間で見て回るには多すぎる。
そこで今回は、名鉄電車で一駅、隣駅から徒歩で回れそうな「今伊勢古墳群」に行くことにした。

<車塚古墳(見当山古墳/目久井古墳)>
名鉄今伊勢駅から東へ向かう。
岐阜街道を越え、今伊勢郵便局の先を左折した一画の字名は「目久井(ムクイ)」で、どういった謂われがあるのだろうか、と思う。そんな住宅街の路地を曲がると、不意に「車塚古墳」の標柱が目に入った。

01 今伊勢車塚古墳遠景

標柱の横には解説板が立っているが、入り口には鍵が掛かっており、今日は中には入れないようだ。

02 今伊勢車塚古墳近景

03 今伊勢車塚古墳解説板

古墳は全長70mの前方後円墳とされるが、前方部は昭和43年に削平されてしまったらしい。
現存しているのは後円部のようであり、直径34m、高さは4m、5世紀前半の築造とされている。

04 今伊勢車塚古墳近景

墳丘の規模から今伊勢古墳群の盟主墳とされ、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)がこの地を訪れた際、「大神宮御鎮座伊勢之見当を御覧の山」との故事から「見当山古墳」とも、また字名から「目久井古墳」とも呼ばれるそうである。
昭和14年に発行された「一宮市史」によれば、「見當山古墳は最も完備せる前方後圓墳」であって、寛政元年(1789年)六月に大雨で墳丘が崩れた際、「鏡四面及多數の玉類刀劔、鐵製の武具・馬具等」が出土、「尾張中島宮式内郷社酒見神社に關聯するかに思はれ」る、とされている。

05 今伊勢車塚古墳東側墳丘


<石刀神社(岩戸古墳)>
車塚古墳から800mほど北上したところに「石刀(いわと)神社」という神社がある。

06 今伊勢石刀神社遠景

この神社には、「石刀祭」という祭礼に使用される江戸初期製の山車が大切に残されているそうだ。一部は戦災で焼失してしまったらしいが、それでも3台の山車が残っており、今でも祭礼では現役で使用されているそうだ。

神社の創建は崇神天皇の時代というから紀元前で、現在の羽島市付近に創建された後、平安時代(一説には南北朝時代)に現在地に遷座したそうだ。本殿は西を向いており、これは旧社地を向いているのだそうだ。
まずは拝殿で手を合わせ、写真を撮って周る許しを請う。

07 今伊勢石刀神社社殿

ところでこの社殿は「岩戸古墳」という古墳の上に鎮座している、とされ、社殿の裏に回ると墳丘の痕跡を見ることができるそうだ。

08 今伊勢石刀神社社殿下の土台

「大和國古墳墓取調室」というHPによれば「径20m以上の円墳」とのことであり、裏へ回らせてもらうと、社殿の下の地盤が50cmほど段になっており、円形になっている。これが「わずかに残された円形の高まり」のようである。

09 今伊勢岩戸古墳

10 今伊勢岩戸古墳


ところで、古墳群の名前になっている「今伊勢(イマイセ)」という地名も興味深い地名だと思う。

「伊勢神宮」(内宮)の祭神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)が現在の伊勢の地に祀られるまでの間、倭姫命が遷座地を求めて各地を転々とした、という故事が「日本書紀」に載っており、その、転々とした地は「元伊勢」と呼ばれる。
その「元伊勢」の第15番目、「中島宮」の候補地の一つが車塚古墳近くの「酒見神社」とされており、車塚古墳に伝わる倭姫命の伝承も、(年代が整合するかどうかはともかく)こうした伊勢神宮に関連した故事ということになる。
それにしても、「元伊勢」の地に、「今伊勢」の名が冠されているのは、一体どういった謂われによるのだろう。

一説にはここ、石刀神社のある「馬寄(ウマヨセ)」という地名の詠みが「イマイセ」に転じた、とされているようであるが、石刀神社境内の由緒書きには、「当地馬寄は往古、今寄の庄と云い」とある。

11 今伊勢石刀神社由緒書き

加えて、酒見神社の由緒書きによれば、平安時代の延久元年(1069年)、酒見神社の神主が伊勢神宮神主を兼任することになり、二百石を賜った際、「本神戸」、「新神戸」、「新加神戸」、「馬寄」を合わせて「今伊勢の庄」の名を(伊勢神宮から?)賜った、とあるようなので、これらを単純に合わせれば、

「今寄(イマヨセ)」→(転訛)「馬寄(ウマヨセ)」→(下賜/恩賜)「今伊勢(イマイセ)」

ということだろうか。

ところで「神戸(カンベ)」というのは「神社に附属して租税・課役を神社に納めた民」であるから、いずれにしてもこの一帯は相当古くから伊勢神宮と深いつながりを持っていたことになる。

古墳も、地名も、神社も、いずれもそこに伝わる由来を調べると、その土地がこれまで脈々と辿ってきた長い歴史の奥深さの一端が垣間見えて、非常に感慨深いものを感じる。
同時につくづく、一介の人間の人生の何と短いことか、とも思う。自分は一体、後世に何を遺せるだろう。

長く(重く?)なったので、続きはまた次回。

(地図)
今伊勢古墳群地図


(参考資料)
「古墳マップ」 http://kofun.info/
「大和國古墳墓取調室」 馬見古墳群調査委員会 http://obito1.web.fc2.com/
「今伊勢古墳群」 東海工務設計事務所Kon氏 http://akon.sakura.ne.jp/owari/imais-ko.html
「延喜式神社の調査」 阜嵐健氏 http://www.geocities.jp/engisiki/index.html





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