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2018/01/14

沖積平野の微高地「神社」巡り(1) (埼玉県吉見町 高負彦根神社/ポンポン山、天満宮/頭殿神社)

イチゴを買いに行こうと思う。

埼玉県吉見町と言えば「吉見百穴」で有名な町であるが、最近は「イチゴ」の生産にも力を入れているらしい。

今や全国津々浦々に「道の駅」があるが、吉見町の道の駅は「いちごの里よしみ」といって、イチゴ押しである。道の駅好きで、しかも大のイチゴ好きの妻をドライブに連れて(古墳がある町へ)出かけるにはこの上ない。

吉見町は東に荒川、西に吉見丘陵が広がっており、丘陵端の崖面に穿たれた「吉見百穴」を始め、一説には500基以上の古墳が密集する地域らしい。4世紀前葉の築造で古式の前方後方墳とされる「山の根古墳」など、とても魅力的な古墳があるようだが、こうした古墳はいずれも山中にあるらしく、残念ながら妻を連れて行くには不向きなようである。残念だが吉見町の古墳巡りはまたの機会に譲ることにした。

それでも諦めきれずに地図を眺めていると、丘陵下、荒川流域の沖積平野のあちこちに点在する神社の記号が目についた。いずれも標高は周辺の田園地帯より1mほど高くなっているようなので、沖積低地にある自然堤防状の微高地上にいくつもの神社が祀られているようだ。

吉見町は、古くは「横見郡(評)」と呼ばれ、安閑天皇元年(534年)に起こったとされる武蔵国造の乱の勝者である笠原直使主(カサハラノアタイオミ)が朝廷に献上した4ケ所の屯倉(ミヤケ)のひとつ、「横渟(ヨコヌ)屯倉」の比定地とされる。ヤマト朝廷による東国支配の拠点として古くから栄えたためか、町域に延喜式内社が3社もあるほか、神社の数も多いようだ。
こうした神社の中には、自然堤防上に作られた古墳を転用して、その上に社が祀られたものなどもきっとあるに違いない。今回はこうした微高地上の「神社の立地」を観察して回ろうと思う。

(いつものことだが、どこかに出掛ける際、事前に入念な下調べをして行くことは稀で、今回も地図上で適当に目星を付けた神社に行ったのだが、残念ながら訪問しなかった神社のいくつかに、実際に古墳上に祀られた、とされる神社がいくつもあったらしいが、それがわかったのは例によって帰宅した後であった・・・。)

とにかく、まずは道の駅に向かい、昼食を済ませつつ、イチゴをこれでもか、とばかりに買い込んだ。
神社巡りの手始めに、町の北部の丘陵上にある「高負彦根(タカオヒコネ)神社」に向かうことにした。

<高負彦根神社(ポンポン山)>
高負彦根神社は町域に3社ある延喜式内社の1社であり、吉見丘陵が半島状に低地に突き出した「玉鉾山」と呼ばれる高台の頂上にある。

高負彦根神社(遠景)

創建はこの地区の神社の中で最も古いとされ、社記によると何と和銅3年(710年)の創建と伝わるそうだ。天平勝宝7年(755年)には既に官社となっていたというから、相当の古社である。

高負彦根神社(鳥居扁額)

祭神はいずれも出雲系の味鉏高彦根尊(アジスキタカヒコネノミコト)、大己貴尊(オオナムチノミコト)とされるが、解説板によると「素戔嗚尊(スサノオノミコト)とも言われる」とある。

高負彦根神社とポンポン山由来

沖積平野の微高地神社巡りに先立ってまずここを訪れたのは、3社ある延喜式内社のうち最古の創建ということもあるが、社殿の建つ玉鉾山に伝わるという伝説を確かめてみたかったからである。

玉鉾山は別名「ポンポン山」とも呼ばれ、解説板にもあるとおり、地面を強く踏むと「ポンポン」という音がするそうである。
社殿脇に裏の高みへ至る道があり、見上げると解説板にある写真と同じ風景が見えている。

ポンポン山

果たして人間が強く足踏みをしたくらいで本当にそんな音がするのだろうか、半信半疑であったが、周囲に人影がないことを確かめてから、夫婦揃ってその場で地団駄を踏んでみると、確かに鈍い反響音のような音がする(ような気がする)。

吉見町のHPによれば、その昔、財宝の隠し場所を探していたある長者がこの神社に詣でたところ、「この岩山に埋めれば私が守ってやろう」というお告げがあったため安心して財宝を埋めた後、後世になって盗人が山に入って財宝を掘り出そうとしたところ「ポンポン」という山鳴りがしたので恐れて逃げ出した、という言い伝えが残っているらしい。

青面金剛(宝暦六丙子(1756)年)
(宝暦六丙子(1756)年の銘のある青面金剛像)

この「ポンポン」という音については、地下に空洞がある、という説や、ローム層と砂岩の境界で音が反響している、という説などがあるそうだ。
地下の空洞というのはもしや古墳の石室なのではないかしら、と思い訪れてみたが、頂上周辺の地質は土ではなく岩盤のようで、残念ながら古墳が埋もれている、という雰囲気ではないようであった。

山頂部

それはともかく、ポンポン山の頂上からの眺望は頗るよく、青空が目に染みる。

山頂からの眺め


<塚状地形?>
高負彦根神社からそのまま山あいを北東へ進むと、やがて道は緩い下り坂で沖積平野へと降りていく。
前方に広い田畑が広がる間際、道が目前の高みを迂回するように巻いているので停まってみた。

塚状地形?

何かはよくわからないが、高みの上に上がる階段が付いているので、庚申塚か何かだろうか。

塚状地形?


<天満宮/頭殿神社(地頭方)>
沖積平野に出ていくつかの神社を見学した後、南東へ進むと、北吉見郵便局の北、「地頭方」という変わった字名の地域に至る。吉見北小学校の東隣にこじんまりと「天満宮」がある。

地頭方 天満宮(遠景)

向かって右に建つ背の高い方の鳥居に掛かっている扁額に「天満宮」、左側の鳥居の扁額は「頭殿神社」と読める。

地頭方 頭殿神社扁額

左側の鳥居の向こうに高さ2mほどのマウンドが見えている。

地頭方 頭殿神社のマウンド

奥行きは5mほどだろうか、手前側は削られているのか、玉石で巻かれているが、向こう側へ回ると円形の盛土から、何やら石材がところどころ顔を出しているように見えなくもない。

地頭方 頭殿神社のマウンド

地頭方 頭殿神社マウンド

立地としては周辺の標高が14~15m前後であるのに対して、この神社の地盤は標高16mほどで、高負彦根神社の崖下から東に向かって鎌のように湾曲しながら沖積平野に横たわる微高地の北の縁近くに位置している。

見た目、立地とも、個人的には「古墳感十分」と思うのだが、裏付けとなる情報は何もない。


さて、この後も続けていくつかの神社を巡る予定であるが、長くなりそうなので続きはまた次回。


(地図)
吉見町地図(北部)
(茶色マーカーの神社は古墳らしく見えなかったので紹介しなかった。)


(参考資料)
「吉見町HP」 http://www.town.yoshimi.saitama.jp/guide_ponponyama.html



<追記> 2018/6/16

「頭殿神社」の詠みがわからないまま紹介したが、「フカダソフト」さんのHP「通殿川」によれば、字名である「地頭方(ジトウホウ)」と同じく、中世の地頭領を意味するものらしく、北関東に広く分布しているらしい。
詠みは「ツウドノ」、「ヅドノ」、「カフ(コウ)ノトノ」などと読み、水運などの安全を司る神として祀られているようだ。

なお、字名の「地頭方」は上尾市にも同じ字名があるようだが、そちらは「ジトウガタ」と読むようだ。

地名や神社の名前はつくづく奥深い。

「きまぐれ旅写真館 (第7回)関東地方の川~通殿川(その1)」 http://www.geocities.jp/fukadasoft/rivers/tuudono/


<追記>2018/7/1

その後、周辺の神社について改めて調べていると、「頭殿神社」について詳しく書かれているHPを見つけた。
神社の名前は「ズウドノ」と読むらしく、かつてあった「五反田」という集落の河岸から、河川改修に伴い、大正10年にこの地に移されてきたものらしい。

頭殿社が移設されてくる以前から、果たしてこのマウンドはあったものなのだろうか。

「古社巡拝録」 http://akatoge.jp/index.html


コメント

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No title

こんばんわ。

吉見町では吉見百穴などの古墳は訪れたことがありますが、ポンポン山の存在は知りませんでした。古墳の石室でないとすれば何なのか興味がありますね。

どうもありがとうございます。

kame-naoki様、いつもご覧頂き本当にどうもありがとうございます。

私もポンポン山は今回初めて訪問したのですが、山頂に大きな岩(山そのものが岩盤?)があって、伝説と相俟ってどことなくミステリアスな感じがしただけでなく、山頂からの眺めもとてもよいところでしたので、ここに何かしらを作ってお祀りしたくなる気持ちが少しわかったような気がしました。昔の人たちもきっと眺めのいい場所を好んだのでしょうね。

こういった、ガイドブックには載っていないような史跡は全国にまだまだたくさんあるのでしょうね。

今後ともどうぞよろしくお願い致します。