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2018/01/06

古代「大生」氏の奥津城(4)(茨城県潮来市 大生原のその他の塚)

前回まで大生神社周辺の古墳を紹介してきたが、他にもあちこちで塚状のマウンドを見かけた。古墳かどうか自信はないが、まとめて紹介だけしておこうと思う。


<大生の天狗塚>
鹿見塚古墳の東、県道187号の向こう側に県道に面して、地面がうっすらと膨らんだ上に石碑がいくつか建っている一画がある。
01 大生天狗塚遠景

脇に立っている柱には「潮来市大生の天狗塚」とある。
02 大生天狗塚近景

茨城県で「天狗」と言うと、幕末の元治元年(1864年)、尊王攘夷を掲げて反乱の兵を挙げた「天狗党」事件が思い浮かぶ。
この塚が天狗党に関連したものかどうかはよくわからないが、水戸藩内での抗争は明治になってからも続いたそうで、一部の地方では今でも身内争いのことを「天狗」と呼ぶらしい。


<大生原庚申塚>
イタコモーターパークの北側の道沿いの木立の中に、「猿田彦大神」、「大青面金剛」などと書かれた庚申塔が集められた塚があった。
03 大生原庚申塚遠景

04 大生原庚申塚近景

石碑はいずれも庚申信仰の石塔であろうが、それらが建てられている塚は小ぶりな円墳のようにも見える。
05 大生原庚申塚 東から


<水原庚申塚>
潮来カントリークラブの北東側、水原というところの畑地の中にも庚申塔が集められた塚があった。
06 水原庚申塚遠景

07 水原庚申塚近景

庚申供養の信仰は近年まで行われていたらしいので、こうした庚申塚は珍しいものではないのかも知れないが、やはり地面が盛り上がっていると、それが何であろうとついつい、近寄ってしまう。
背景に見えている木立の頭が夕焼けに染まっている。


<仲台古墳群?>
先ほどの庚申塚から東へ100mほど、畑の中に、頂上に石碑を乗せた大きなマウンドがあった。
08 仲台古墳群? 南から

西隣は墓地になっており、東側のマウンドは小さな前方部のような形になっている。
ここでもマウンド上の木の枝がところどころ夕陽に染まっている。
09 仲台古墳群? 東から

裏側へ回るとこちらは綺麗な円形に見える。
10 仲台古墳群? 北側から

「いばらきデジタルまっぷ」で見ると、このあたりには「仲台古墳群」という記号がついているので、もしかするとこれもその一部なのかも知れない。


<松和稲荷神社>
大生神社のすぐ前、鬱蒼とした木立に囲まれて小さな稲荷社の祠が建っている。
11 松和稲荷遠景

「松和稲荷大明神」という名の神社で、祠の脇の石碑には次のようにある。

「和銅4年(711年)、秦之伊呂貝が餅を的にして矢を射った処、その餅が鳥となって稲荷塚「松の梢」に飛んできて村の人々は此処に稲荷の社を建立」

12 松和稲荷碑文

「秦之伊呂貝」と言えば、山城国風土記逸文伊奈利社条に見える「伏見稲荷大社」の起源伝承に出て来る「伊呂巨(具)秦公」(イロコ(グ)ノハタノキミ)のことであろう。伏見稲荷大社の創建伝承は、伊呂巨が餅を的にして矢を射ろうとしたところ餅が白鳥に化身して飛び去り、舞い降りたところに稲が生えたため社を建て「伊奈利(稲成り)」の社とした、というものであるが、松和稲荷の創建伝承はこれによく似ている。

ところで、この松和稲荷は古く明治までは「稲荷塚古墳」の墳上にあった、とされる。稲荷塚古墳は大生東部古墳群の主墳とされる全長61mの前方後円墳で、松和稲荷はその後円部上に南を向いて建っていたらしい。

またいつの日か、ここに来ることがあったら、その時は必ず、墳頂に松和稲荷の社を頂いた当時の面影を探しに、稲荷塚古墳を見に来ることにしよう。


(地図)
大生原地図

水原地図



(参考資料)
「いばらきデジタルまっぷ」 http://www2.wagmap.jp/ibaraki/top/select.asp?dtp=34




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