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2017/09/14

里山に残る厳かな雰囲気の前方後円墳(茨城県土浦市 常名天神山古墳)

霞ヶ浦は仕事で年に何度か訪れているが、この日は朝から別の仕事に追われてしまい、結局、時間ギリギリになってようやく家を出た。
今日は土浦駅で税理士さんをピックアップしてからお客さんのところに行かねばならないので、遅れる訳にはいかなかったが、幸い今日も首都高は空いており、土浦北インターを下りる頃には20分ほど時間に余裕ができていた。
「20分」を「余裕」と呼べるかどうかはさておき、ここから土浦駅へ向かう途中に「常名天神山古墳」という大きな前方後円墳があるようだ。少し遠回りになるが、20分もあれば立ち寄れそうである。

高速を下りて125号線をすぐに右折して細い道に入る。このあたりは戦後に土浦市に編入される以前は「都和村」と呼ばれたらしいが、その都和村も明治時代に合併してできた村で、目指す「常名(ひたな)」は、明治22年までは常名村と呼ばれていたらしい。
「常名」と書いて「ひたな」と読むのはかなり難解な部類に入るのではないか、と思うが、どういった由来があるのだろうか、と思う。

地図で見ると常名地区は、霞ヶ浦へ注ぐ桜川が削った東西に走る幅3kmほどの幅広の谷を南に望み、地区のほぼ中央を境にして北側は標高30mほどの台地に、南側半分は標高3mほどの低地になっている。

そう言えば、以前住んでいた近くの横浜市青葉区(当時は確か緑区と呼んだ)に「田奈」という場所があったし、相模原市にも「田名」という場所があった。いずれも読みは「タナ」で、どちらも記憶の限りでは、南向きで陽当たりのよい河岸段丘上の緩やかな斜面であった。
当てずっぽうだが、「タナ」というのは陽当たりのよい斜面を意味するのではないだろうか・・・。
「常名」ももしかすると「ヒ・タナ」、よく日の当たる斜面を指すのではないだろうか・・・。
そんなことをぼんやり考えながらクルマを進める。
都和南小の先で台地に深く入り込んでいる侵食谷へいったん下り、金山寺という寺を過ぎて、目指す常名神社の東側から再び崖上への上り坂を上る。
左右に竹林が迫る細い道を過ぎると、左手、竹林の向こうへと少し心細い感じのする急な上りの舗装路が現れる。この舗装路を上り切ったところが常名神社、すなわち常名天神山古墳であるが、余りに舗装路が「心細い」、というかこれ、クルマで入って行けるのか?という感じがして、思わず躊躇してしまう。
意を決して、急坂を一気に上ると、左手に神社の祠を頂いた瓢箪型の大きな墳丘が姿を現した。(以前も書いたが、車体の小さなクルマで本当によかった、と思う。普通車だったら大変なことになるかも知れないので注意されたい。)

01 常名天神山古墳

全くの山中であるが、墳丘前には広いスペースがあって、クルマが停められるだけでなく、全景も見渡せる。

02 常名天神山古墳(パノラマ写真)

東側に「市指定史蹟」の標柱と解説板が立っている。

03 常名天神山古墳

04 常名天神山古墳解説板

主軸をほぼ東西に向けていて、一部削平されているが、現存部分の全長は70m、後円部直径45m、高さ約7m、前方部は高さ約4mで、解説板のある東側、神社の祠が建っている方が後円部、クルマで上ってきた西側が前方部のようだ。墳形などから5世紀初め頃のものと考えられているらしい。

05 常名天神山古墳解説板実測図

解説板から前方部を振り返ると、巨大な墳丘の量感に圧倒される。まるでふたこぶの恐竜が巨大な身体を横たえているようだ。

06 常名天神山古墳

社殿前で合掌し、静かな時間を乱してしまった非を詫びる。
後円部上から前方部を望むとちょうど括部にも祠が建っていて、その向こうに前方部の高みが見えているが、どうも前方部が細長く右にうねっている感じがする。

07 常名天神山古墳

もう一度、解説板の実測図を見ると、前方部の南側墳裾が削平されているように見える。
残存部分なのだろうか、墳丘から少し離れたところに小さく離れ小島のようなマウンドが残っている。

08 常名天神山古墳 南西角の離れ小島状のマウンド

(例えが古くて恐縮だが、)遠目に見たところ、ラピュタの映画に出てくる壊れたロボットのようなものが見えたので、近寄って見ると、石仏のお顔のようにも見える石と、「嘉永二酉年」(1849年、酉年)と読める文字が刻まれた石板の破片が並べられていた。

09 常名天神山古墳 離れ小島状マウンドの石造遺物

前方部に立つ宝篋印塔は安土桃山時代のもののようだ。
戦国時代にこのあたりを支配していた菅谷弾正治貞の墓塔と言われているらしい。

10 常名天神山古墳宝篋印塔

ここには一体どのくらいの時間が積み重なっているのであろうか。
何と言えばよいのかわからないが、一種独特な空気感を感じる。重厚な、厳かな、声を立ててはいけないような、不思議な空気で満たされている、そんな感覚を覚えるのは気のせいだろうか。

名残惜しいがもう時間がない。クルマに戻って、最後にもう一度だけ振り返ってみた。
墳丘上には大きな樹々が鬱蒼と生えていて、何だか本当に時が止まったラピュタのようにも見えた。

11 常名天神山古墳

さあ、急いで土浦駅に向かわねば、税理士さんがお待ちかねである。

(地図)
常名天神山古墳地図


(参考資料)
「埼群古墳館」 http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/
「いばらきデジタルまっぷ」 http://www2.wagmap.jp/ibaraki/top/select.asp?dtp=34


<追記>
1、その日は気が付かなかったが、いばらきデジタルまっぷによれば、常名神社への心細い舗装路の反対側(西側)にもうひとつ「瓢箪塚(別名:挑戦塚)古墳」という古墳があったようである。名前からするとこちらも前方後円墳だったのかも知れず、前方後円墳が二つ並んでいる点は非常に興味深い。ただしこちらについては「湮滅、台地も削平」とあるので、痕跡は残っていないのかも知れない。

2、さらにいばらきデジタルまっぷによれば、常名天神山北方の台地上には、「山川古墳群(古墳7基、一部湮滅)」、「北西原古墳群(方墳5基、一部湮滅)」が、常磐道を挟んだ下坂田地区の崖際にも複数の古墳群があるらしい。まさに崖ぎわは古墳の宝庫、犬も歩けば古墳に。。。

3、「タナ」という地名について少し触れたが、当てずっぽうだけで書くのもどうか、と思い、ネットで語源を調べてみた。いずれも諸説あるようだが、

「田奈」(横浜市青葉区):
 ① 明治22年の村制施行に伴い、村を構成する三地域、すなはち恩田、長津田、奈良から一字ずつ取ったもの(ウィキペディア、「はまれぽ.com」 http://hamarepo.com/story.php?page_no=1&story_id=1643)
 ② 上記以前に、町田市小山田(小山田庄)の地頭、小山田有重の五男が田奈有朝を称しており、これとの関係があるとすればもっと古くからの由来があるのではないかとする説(yahoo知恵袋)

「田名」(相模原市中央区、緑区)
こちらはどうやら鎌倉時代くらいまで遡る古くからの地名のようで、古くは「田那」、「田奈」、「棚」とも表記され、
 ① 名田制(土地を所有していた名主や富裕層の名前を付ける風習)の名残り
(「田名の地名」 www.sagamihara-kng.ed.jp/kouminkan/tana-k/timei.htm)
 ② 相模川対岸から見ると「棚」のように段々に見えるところからついた、とする説
(相模原市立橋本図書館「発見!!さがみはら」第32号https://www.lib.sagamihara.kanagawa.jp/shisetu/03_hashimoto/hakkennsagamihara/hakkennsagamihara32.pdf)

大変恐縮だが、いずれにしても「タナ」に「陽当たりのよい場所」という汎用的な意味はどうやらなさそうである・・・。



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