FC2ブログ
2017/06/23

アジサイの前方後円墳とアオガシの方墳(茨城県潮来市 天王原古墳/中辻古墳)

久しぶりに古墳巡りの機会に恵まれ、潮来市に来ている。
天気も上々で、全く申し分ないのだが、ひとつだけ。一般的に古墳には樹木が密生しているものだが、この辺りのヤブ蚊はタフで、市販の虫よけ剤をものともせず突撃して来る。古墳好きとしては欠格かも知れないが、蚊が極めて苦手なので、若干辟易としている。先ほどから全身虫よけ剤まみれで、どうでもいいことではあるが、果たしてこれって健康を害することはないのかしら、などと思っている。(幾分顔面がピリピリするのは気のせいか。)

浅間塚古墳を見た後、国道51号を戻り、潮来市役所前を右折して一本南を走る旧道へと入る。道の両側に神社が並ぶ風情ある旧道を県道50号方向に進むと、県道にぶつかる100mほど手前、右側にぽっかりと「天王原古墳」の墳丘が見えて来る。

<天王原古墳>

09 潮来市天王原古墳

この古墳は高台ではなく、南を流れる前川に面した標高4~5mほどの低地に作られているようで、大きさは「埼群古墳館」によれば全長30mほど、後円部径15m、高さ3m、前方部は幅8m、高さ1.5mの前方後円墳で、先ほどの浅間塚古墳に後続する首長墓ではないか、とされているそうだ。

10 潮来市天王原古墳

(パノラマ写真)
11 潮来市天王原古墳

低地だからだろうか、蚊も少なく快適である。
後円部の一部が部分的に高く盛り上がっていて、その上に小さな祠と布袋様(恵比寿様?)が祀られている。

12 潮来市天王原古墳

13 潮来市天王原古墳

周囲にはいろいろな種類の紫陽花がたくさん植えられており、古墳も紫陽花も、地域の人たちに大切にされているのだろう。

14 潮来市天王原古墳


さて、この近くにもうひとつ、「中辻古墳」という方墳があるはずなのだが、どうにも見つからない。仕事に間に合わなくなるので、諦めていったん仕事に向かうことにした。


<中辻古墳>
訪問先の定時は17時なので、仕事は明るいうちに終わった。(端からそのつもりだったフシもあるが、)急げば中辻古墳へのリベンジも可能である。

先ほど探した際はクルマでの進入を躊躇した細い路地に意を決して突入し、しばらく進むと、真面目に仕事をこなしたご褒美、という訳でもなかろうが、今度はあっけなく、目指す中辻古墳に辿り着くことができた。

15 潮来市中辻古墳

「中辻古墳」の標柱と並んで、「辻のアオガシ」という標柱が立っている。すぐ横の大木がこのアオガシのようで、樹齢は推定200年とある。

16 潮来市中辻古墳

17 潮来市中辻古墳

墳丘は「方墳」とされているようだが、見通しが利かないこともあって、方墳のイメージが掴めない。道路沿いに西側に回って見ると、墳裾の左隅がカドのようにも見えなくもない。

18 潮来市中辻古墳

東側は樹木が少なく、墳丘がよく見えるが、やはり四角くは見えない。

19 潮来市中辻古墳

もう少し南側まで回り込んで見ると、墳頂が水平に平坦になっているようにも見える。が、方墳の墳頂って平坦なものだっただろうか・・・。
方墳はこれまであまり見たことがないこともあり、経験値(見る目とセンス)が足りないようである。

20 潮来市中辻古墳


帰路、常陸利根川を渡ってみた。霞ヶ浦と外浪逆浦を繋ぐ水路のような川であるが、川幅いっぱいに水を湛えた川面が夕雲と同じ色に染まっている。

久しぶりに古墳を堪能できた一日だった。

21 潮来市常陸利根川


(地図)
潮来市天王原古墳、中辻古墳地図
(黄色はまだ行ったことのない未探訪古墳)


(参考資料)
「埼群古墳館」 http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/
「いばらきデジタルまっぷ」 http://www2.wagmap.jp/ibaraki/top/select.asp?dtp=34



2017/06/23

地域最古の前方後円墳(茨城県潮来市 浅間塚古墳)

忙しかった仕事も徐々に収斂してきて、精神的に少し余裕が出てきたところに、運よく鹿島への出張が重なった。チャンス到来、「いざ古墳!」である。(仕事と古墳のどちらが主目的なのか、甚だ疑問ではあるが。)

鹿島/潮来は古墳の宝庫で、久しぶりなこともあり、どの古墳を見に行こうか目移りする。久々に味わう静かな高揚感である。
前回の鹿嶋出張では鹿嶋市の宮中野古墳群を見に行ったので、今回は隣接する潮来市に行ってみようと思う。
昇寛さんの「埼群古墳館」を見ると、常陸利根川を望む高台、その名も「大塚野」という場所に「浅間塚古墳」という前方後円墳があるようだ。前方部が未発達の古い形の前方後円墳で、潮来市のホームページによれば「霞ヶ浦、北浦周辺部では最古の前方後円墳」とされているようである。最古の古墳に敬意を表して、まずはこの「浅間塚古墳」を見にいくことにしよう。

<浅間塚古墳>
東関道の潮来インターを出て県道50号線を左折、しばらく行くと国道51号線と交差するのでまた左折。潮来市役所前を通過し、道が上り坂になる。坂を上り切ったあたりで左に見えているのは「稲荷山」という山で、ここにも稲荷山古墳という古墳群があるようだが、ここはまた後日にとっておくことにして、そのまま国道を進む。
右カーブして台地の際を暫く進むと、右側斜面に大塚野の住宅街が広がる。国道から住宅街に入ると、鬱蒼とした緑に囲まれた森が見えて来る。これが「浅間塚古墳」である。

01 潮来浅間塚古墳遠望

入り口は国道に面したところにあるので、クルマを置かせてもらって国道まで下りてゆくが、標高が高いので、常陸利根川がよく見える。

02 潮来浅間塚古墳からの常陸利根川

「浅間さま入口」の標識が国道のすぐ脇にあり、傍らに古墳の解説も掲げられている。

03 潮来浅間塚古墳入口

04 潮来浅間塚古墳解説

よく読むと文章は浅間塚古墳の説明ではないようであるが、測量図は浅間塚古墳のものだろう。上の図では左側が前方部で、確かに低く未発達なようであるが、どうも「撥型」には見えない気もする。論より証拠、入口から藪の中へと続く急な上り坂を上る。

05 潮来浅間塚古墳

急な上りで、靴底が平らな革靴ゆえ相当難儀したが、何とか墳頂までたどり着くと、浅間神社の小さな祠が祀られている。手を合わせて写真撮影の非を詫びる。

06 潮来浅間塚古墳墳頂の浅間神社

墳丘の規模は、潮来市によれば全長84mで県内11番目の大きさだそうである。後円部径48m、高さ7.5m、前方部(長?)25m、高さ4.5mで、墳丘の北東側に幅10mの周溝が認められるそうである。

墳頂の樹々はどれも大きく枝を伸ばしていて、何となくラピュタの映画に出てきそうな趣きである。

07 潮来浅間塚古墳

そうした樹々の向こう、北西側に前方部が辛うじて見えているが、藪が深い上に、虫よけ剤をものともしない蚊の襲来で腕と顔面を数ケ所、一瞬で被弾してしまったので、早々に退散することにした。

08 潮来浅間塚古墳

この後、二箇所ほど古墳を回ってみたいが、少し長くなりそうなので、続きはまた次回。

(地図)
潮来浅間塚古墳地図
(黄色はまだ行ったことのない未探訪古墳)


(参考資料)
「埼群古墳館」 http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/
「いばらきデジタルまっぷ」 http://www2.wagmap.jp/ibaraki/top/select.asp?dtp=34



2017/06/14

杉並区に前方後円墳があった?(東京都杉並区 お屋敷山古墳跡)

今回もやや中途半端な「古墳探訪」であることをお許し頂きたい。

東京23区内にある前方後円墳としては、港区芝にある丸山古墳や、上野公園にある摺鉢山古墳、我が地元大田区の亀甲山古墳などが有名であるが、いずれも公園の築山としての役割を与えられたことで、奇跡的にその姿を留めているのだと思う。

23区内には他にも富士塚などに転用されたことでその姿を留めている古墳があるが、有名な武蔵国造の乱によって武藏國の支配権が南武蔵から北武蔵に異動した(と考えられている)こともあり、今知られているもの以外に南武蔵には大型の前方後円墳はなかったのだろう、と勝手に思い込んでいた。

日中、立川で仕事があって、終わってからもすぐ自宅へ戻らねばならないのだが、最近、なかなか古墳を見に行くことができなくて、心が鬱積している。
あまり時間はないけれど、どこか寄り道してしまおうと思い、ご~ご~ひでりんさんの「古墳なう」で帰りがけに立ち寄れる古墳はないか探していると、思いがけず、杉並区に前方後円墳のマークがあるのに気が付いた。
青いマークなので現存はしていないようであるが、杉並区に前方後円墳があった、というのは本当に思いがけなかったので、今日はこれを見て帰ろうと思う。

高井戸インターから甲州街道へ出て、桜上水駅のあたりで北方へ左折すると、すぐに崖沿いの緑地帯が見えてくる。神田川はもう少し北を流れているので、ここに段丘があるのは意外な感じがするが、緑地帯の方は多摩川上水の痕跡のようである。

さらに意外なことに、古墳はこの段丘を下りたところにあったらしく、若干違和感を感じながらも、そのまま段丘を下り坂で下り、高井戸運動場の手前の路地を左折すると、右手に向陽中学校が見えて来る。

01 杉並お屋敷山古墳跡?

ここにあった古墳は「お屋敷山古墳」と呼ばれる立派な前方後円墳だったようで、耕作などによってある程度削平されていたらしいが、大正から昭和にかけて史蹟として指定される直前に消滅してしまったらしい。詳しくはご~ご~ひでりんさんの「古墳なう」や、向陽中学OB(?)の川俣晶さんという方のウェブサイトをご覧頂ければ、と思うが、「古墳なう」によると、ちょうど中学校の校舎のあたりに北西方向に主軸を置いた、全長70~90mほどの墳丘があったようである。
「今昔マップ on the web」で見る限り、昭和20年の地図ではまだ中学校は建設されておらず、やや括れた瓢箪型の地形が描かれているので、戦後間もなく削平されてしまったのではないか、と思う。

立派な前方後円墳が残っていれば杉並区の貴重な歴史遺産になっていただろうと思うと大変残念であるが、もはやここに古墳があった、という痕跡は全く感じられない。

かなり贔屓目に見れば、学校の敷地がどことなく弧を描くようにカーブしているように思えるので、もしかするとこれが古墳を巡っていたという周溝の輪郭なのかも知れず、唯一、このカーブだけが僅かに古墳の雰囲気を残しているようにも思える。(というか、是非そう思いたい。)

02 杉並お屋敷山古墳跡?

もう少し、古墳があった当時の風景を妄想していたいが、中学校の校門前で、遠い目をしたおっさんがキョロキョロと写真を撮っているのはどう見てもヤバい雰囲気である。早々に引き揚げることにしよう。


(参考資料)
「古墳なう」 http://gogohiderin.blog.fc2.com/
「川俣晶の縁側 杉並区、向陽中学校/下高井戸運動場にあった『お屋敷山古墳』という謎」 http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20080330020337
「今昔マップ on the web」 http://ktgis.net/kjmapw/index.html


お屋敷山古墳跡地図



2017/06/12

滝山街道沿いのマウンド(東京都八王子市)

今回は古墳でも何でもないので、興味のない方は読み飛ばして頂いた方がよいと思う。

5月の下旬は忙しかったが、6月に入ってもしばらくは仕事に忙殺されてしまい、寄り道などをする機会がめっきり減ってしまった。時間に追われる毎日で、これでは一体何のために会社勤めを辞したのかよくわからなくなってきたけれど、そんな「欲求不満」が鬱積したある日、滝山街道の旧道を走っていて、車窓に妙な土の山を見かけた。

01 戸吹町マウンド

その後も何度か横を通るたびに何かと思って注意深く観察していたが、とうとう欲求不満が堪忍袋の緒を切って噴出したので、クルマを停めて近くまで見に行って見ることにした。

02 戸吹町マウンド

高さ2m、直径は5~6mほどだろうか、単に道路脇の土地が円墳状に盛り上がっているだけのようだが、大きさ、形と風情が欲求不満の古墳魂を刺激する。

03 戸吹町マウンド

いよいよただの土の山を写真に撮るようになったか、これは相当疲れてきているに違いない、いつになったらきちんと古墳を見に行けるようになるだろうか、と溜息をつきながら西の空を見上げた。

04 戸吹町の空

家に戻り、やるべき仕事を終わらせるともう時計は真夜中であるが、まさか遺跡地図に何か登録されてはいないか、と思い調べてみた。
が、しかし、そんなにうまい話がある訳がない。マウンドは道路の南側にあったが、そのあたりは道路の北側は「宮下遺跡」という縄文時代から古墳時代、平安時代、近世までの複合遺跡のようだが、南側には特段の記載は見られない。しかも。「宮下遺跡」の古墳時代の遺構も「住居、土坑」となっており、古墳の文字は見られなかった。

やはりあれは古墳ではないようだ。だがしかし、もしかしたら近世の一里塚か何かの痕跡なのではないだろうか。欲求不満もここまで来ると単なるストレスではなく、「つける薬がない」という類いのあれではないか、とも思うが、真夜中にインターネットでいろいろ検索してみても、そういった類いの情報はついぞ見つからなかった。

やはりあれは単なる自然地形のようである。
そんなものをブログで紹介するのは気が引けるが、ここのところこんなものしか見ていないので、大変僭越ながら、今回は大目に見て頂くとしよう。

(参考資料)
「東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス」 東京都教育委員会 http://tokyo-iseki.jp/map.html#


正体不明マウンド地図

<追記>2019.04.15
先日(と言っても2月の下旬)、仕事の帰りに久しぶりに滝山街道を通った際、何気なく見ると、紹介した盛土のあった一画は綺麗に整地され、すっかり平らになっていた。昨年の夏に通った際は「健在」であったものの、盛土の表面には砂利なども混じっていたように見受けられたので、やはりこれは単なる盛土だったのかも知れない。

こんなブログでも、細々と続けている間に、世の中ではいろいろな変化が起きるものである。
そんなちょっとした変化に今後も気が付けるように、細々とでもブログの更新を続けていきたいと思う。