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2017/03/22

現代と過去が交錯する一里塚(東京都日野市 日野万願寺 旧甲州街道一里塚)

今日は古墳ではなく、中世の塚、旧甲州街道の一里塚である。

日野万願寺旧甲州街道一里塚

貞享元年(1684年)に日野の渡し経由に道筋が改められる以前、甲州街道は万願寺の渡しで多摩川を渡り、ここ万願寺を通って日野宿へと向かっていたそうだ。

日野万願寺旧甲州街道の変遷

この塚を超えると日野の宿場に至ることから、このあたりは「塚越」と呼ばれたらしい。

日本橋から九つ目の一里塚であり、北側のものは道路拡張などで昭和43年に失われてしまったが、街道南側の塚が残っており、塚の北側には甲州街道の痕跡も確認されているようだ。

日野万願寺旧甲州街道一里塚 解説

塚そのものは直径9m、高さ3mの楕円形で、街道との境に崩落防止のために設けられた三段の石積みの上で、宝永の富士山噴火(宝永4年、1707年)の際の火山灰が積もっていたのが確認されている。

日野万願寺旧甲州街道一里塚

塚上の榎は平成15年の調査の後に植えられたものだそうだが、風情があってなかなかよいと思う。

日野万願寺旧甲州街道一里塚 夕景

現代は塚の遥か頭上を多摩モノレ-ルが通過してゆく。

日野万願寺旧甲州街道一里塚 モノレール

現代と過去が目の前で交錯する不思議な夕暮れである。

2017/03/17

見晴らしのよい斜面の陽だまりの古墳(茨城県東茨城郡茨城町 金毘羅古墳)

縄文時代から奈良・平安時代の遺跡である権現堂遺跡は、宝塚古墳の北西、野曽台地が南に向かって緩やかに下る、見晴らしのよい緩斜面に広がっている。

茨城町金毘羅古墳01権現堂遺跡遠望

足下には菫だろうか、小さな花がそこかしこで風に揺れている。

茨城町金毘羅古墳02足下に咲いていたスミレ

遺跡の西端、南向きの開放的な斜面を登っていく一筋の農道わきに、まるで一里塚のように築かれているのが金毘羅古墳である。

茨城町金毘羅古墳03斜面中腹から遠望

墳丘の直径は15mほど、高さは1mほどあろうか。

茨城町金毘羅古墳04墳丘全景

宝塚古墳よりも標高は高いけれど、台地の縁よりだいぶ奥まった場所である。

20170317_DSC04471s茨城町金毘羅古墳05墳丘全景(北から)

墳頂には小さな祠が祀られている。

茨城町金毘羅古墳06墳頂の祠

古墳の名前からすると金毘羅宮の祠であろうか。

茨城町金毘羅古墳07墳頂の祠

傍らの木の根元では素焼きの神様たちが陽だまりに集まっている。

茨城町金毘羅古墳08陽だまりの神様たち

南側の斜面は遮るものもなく、県道との高低差は5mほどしかないけれど、とにかくここは頗る見晴らしがよい。

茨城町金毘羅古墳09南側眺望

縄文時代から、人々がここで暮らしたくなる気持ちが何となくわかる気がする。
宝塚古墳が台地の縁にあって、谷から見上げて権力を誇示する古墳だとすれば、こちらはここで暮らす人々を近くから見守れるような、そんな場所かも知れない。

茨城町金毘羅古墳10青空

今日は何だか空の青が濃い。


(参考資料)
「いばらきデジタルまっぷ」 http://www2.wagmap.jp/ibaraki/top/select.asp?dtp=34
「埼群古墳館」 http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/

2017/03/17

涸沼川水系最古の「タカラヅカ」(茨城県東茨城郡茨城町 宝塚古墳)

今日は仕事の前に「タカラヅカ」を見ようと思う。

水戸まで行く用事ができた。数日前に小雪が舞ったのでクルマは無理かと思ったが、今日は天気が良さそうだ。このところ仕事が立て込んでいるので、早起きして仕事を少し片付けて、2時間ほど早めに出発した。
首都高の渋滞で少し時間をロスしたが、常磐道から北関東道に入ってすぐ、茨城町西インターで高速を降りる。700mほど南下して県道を右折するとすぐ、宝塚古墳のある木立が見える。最初は気づかずに通り過ぎてしまったが、古墳は一段高くなった雑木林の中にある。

茨城町宝塚古墳01県道西から古墳の森を遠望

県道沿いの小さな駐車スペースにクルマを停め、脇の坂道から上っていくと、巨大な土の山が見えてきた。

茨城町宝塚古墳02最初に見えてくる後方部北東カド

少し南を東西に流れる涸沼川が作った幅1kmほどの谷は、南北の台地よりも標高で15mほど落ち込んでおり、古墳は北側の野曽台地の縁が舌状に谷に突き出た先端部分に築造されている。

茨城町宝塚古墳03解説板

昭和60年の発掘調査で、幅5~7mの周溝を伴った前方後方墳であることが判明している。4世紀末から5世紀初めの築造とされ、涸沼川水系では最古の古墳らしい。

茨城町宝塚古墳04前方部南より墳丘全景

全長は39.3m、後方部長20.5m、幅19.5m、前方部長18.8m、幅16.6mと比較的小ぶりに感じるが、実物は相当大きく感じる。

茨城町宝塚古墳05前方部より墳丘全景

墳丘は発掘調査の結果を踏まえて復元されたものだそうだ。前方部、後方部ともに段築はなく、高さは2mほどありそうだ。

茨城町宝塚古墳06前方部墳丘高さ

後方部は前方部よりも一段高くなっているが、そのあたりの造形は量感があって迫力がある。

茨城町宝塚古墳07前方部上より一段高い後方部

形状は後方部がほぼ正方形であるのに対して、前方部は括れ部から先端部まで幅がほぼ同一の長方形をしているらしい。

茨城町宝塚古墳08解説板の墳形見取り図

括れ部が太いので、何となく違和感を覚えるが、横浜の稲荷前古墳もそうであったように、初期の前方後方墳はそれぞれオリジナリティが強いのかも知れない。

茨城町宝塚古墳09後円部より開きのない前方部端

復元からだいぶ時間が経ったためか、墳丘には太い杉の木などが生えており、落葉も降り積もって自然な雰囲気になっている。例えば奈良時代など、古墳があまり顧みられなくなったような時代はこういった雰囲気だったのだろうか。

茨城町宝塚古墳10落葉の積もった括部

古墳の脇には石室材の転用だろうか、何枚かの石碑が青空を背にして立っている。

茨城町宝塚古墳11古墳脇の石碑

林の樹々の枝と青空のコントラストは何だか現代絵画のようだ。

茨城町宝塚古墳10雑木林の太陽


(参考資料)
「いばらきデジタルまっぷ」 http://www2.wagmap.jp/ibaraki/top/select.asp?dtp=34
「埼群古墳館」 http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/

2017/03/10

夕陽に染まる稲荷塚(埼玉県坂戸市 稲荷塚古墳(浅羽野古墳群))

坂戸市北東部の古墳を見て回り、十分堪能して帰途についたが、帰り道にもうひとつ古墳があったので、日没まではまだ時間もあることだし、寄ってみることにした。
新山古墳群のある清水町から、今日初めて飯盛川を渡り、東上線を越えて左折すると、線路沿いの空き地に夕陽を浴びた小高いマウンドが見えてきた。

坂戸浅羽野稲荷塚01遠望

稲荷塚古墳と呼ばれる直径20mの円墳で、高さは大人の背丈ほどだろうか、墳頂に正一位込道稲荷大明神の祠を乗せている。

坂戸浅羽野稲荷塚02近景

坂戸浅羽野稲荷塚03墳頂


稲荷社への参拝用の階段が東側(線路側)に設けられているので、東側が正面、という印象だが、西陽がだいぶ傾いて、逆光が眩しい。

坂戸浅羽野稲荷塚04逆光の墳丘

浅羽野古墳群の2号墳とされるが、浅羽野古墳群で現存する他の古墳は関越道よりも南、1kmほど離れた花影、浅羽野地区にあるので、2号墳である稲荷塚古墳は単独で築造されているように見える。

稲荷社の旗が夕風にたなびいている。「こんな時間に一体何しに来た」と言われているような気がしたので、祠に手を合わせて小声でお詫び申し上げた。背中で東上線が轟音を立てて走り去って行った。

坂戸浅羽野稲荷塚05稲荷社

帰り際、最後にもう一度振り返ると、ちょうど向こうのマンションに夕陽が隠れるところで、古墳は真っ黒なシルエットの中にすっかり沈んでいた。

坂戸浅羽野稲荷塚06日没

お休み直前のところ、お邪魔しました、と、もう一度頭を下げた。


(参考資料)
「埼玉の古墳 北足立・入間」 塩野博氏 さきたま出版会 2004年9月
「埼群古墳館」 http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/

2017/03/10

坂戸台地 飯盛川右岸の古墳群(6)(埼玉県坂戸市 新山2号墳/3号墳(新山古墳群))

飯盛川右岸を大智寺のあたりまで遡ってくると、それまでの伸びやかな郊外の雰囲気は薄れ、あたりは新興住宅の立ち並ぶベッドタウンの趣きに一変する。

<新山2号墳>
飯盛川を西に望む5mほどの高台いっぱいに広がる清水町という真新しい住宅街の一画、唐突に古墳が現れる。

新山2号墳01全景

新山2号墳02解説

2号墳の周辺は、以前は雑木林で覆われた自然公園になっていて、木立の中に高さ1.4mの墳丘が残されていたが、周辺の宅地開発に伴い発掘調査が行われ、横穴式石室や周溝が発見された。

新山2号墳03墳丘

宅地化に伴い、周囲の地面が削り取られたようで、墳丘は周囲よりも1mほど高い場所にある。

新山2号墳04墳丘

調査の結果、2号墳は古墳時代末期の7世紀に築造されたもので、一辺50mと極めて大型の方墳であることがわかり、周辺を統治した豪族の首長墓と考えられている。

新山2号墳05墳丘

陽が西に傾いた。

新山2号墳06夕陽

往時の豪族たちもこんな夕陽を眺めたであろうか。

<新山3号墳、4号墳>
新山古墳群は2号墳の他に11基の円墳が確認されているが、3号墳、4号墳以外は全て開発で消滅してしまったようだ。

新山古墳群07古墳配置図

幸い開発を免れた3号墳、4号墳は、2号墳のすぐ西隣、幼稚園の北側の木立の中に残っている。

木立は自然公園で周囲を金網で囲まれており、時間が遅いためか閉まっていて入れないが、金網越しに見えているのが3号墳だと思われる。

新山3号墳08墳丘

4号墳はもう少し右の方に・・・。

新山4号墳09ウサギ?

巨大なウサギが服を着て座っているような気がするが、古墳を見過ぎて疲れているのだろうか。


(参考資料)
「埼玉の古墳 北足立・入間」 塩野博氏 さきたま出版会 2004年9月
「埼群古墳館」 http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/