FC2ブログ
2017/02/28

陵山の神社古墳(東京都調布市 糟嶺神社古墳)

調布市の東部、野川と入間川(いりまがわ)の合流点に、ひときわ小高い独立丘がある。糟嶺神社はその小高い丘の上に鎮座している。

糟嶺神社前景

糟嶺神社は旧入間村の総鎮守で、御祭神は糟嶺大神(カスミネノオオカミ)、往古は墳丘の下に社殿があったが、宝暦8年(1758年)に丘の上に移されたそうだ。

糟嶺神社社殿

糟嶺神社由緒

神社は入間川から見ると、一段高くなった高台の上、さらに小高い丘の上に建っている。

糟嶺神社陵山全景

社地となっている丘そのものが「多磨郡のうち4つの墳陵の一つ」で陵山(みささぎやま)と呼ばれ、2間1尺(4.29m)、根周り(周囲の意?)76間余(150.48m)を測るという。古老はこの丘を「丸山」と呼んだそうだ。


この石段の上の高まりが「丸山」ということなのだろう。

糟嶺神社古墳

糟嶺神社古墳前景

糟嶺神社古墳墳丘

陵山は二分されていて、高い方に神社、低い方には明照院という16世紀に開かれた寺院が占地している。「低い方」とは言っても、明照院の方も相当の高さがある。

明照院

Google Earthで見ると丘全体は細長い形をしているので、もしや前方後円墳のような墳形だったのではないか、などと考えてみたりする。

周囲は閑静な住宅に囲まれていて、小高い境内の木々はひときわ高く見える。

糟嶺神社木立

紅梅が夕陽に染まっている。

糟嶺神社紅梅

2017/02/27

丘の上の住宅街と古墳跡(東京都八王子市 鵯山古墳跡)

「鵯(ひよどり)」と言えば「鵯越え」、源平合戦における源義経の逆落とし伝説を思い浮かべるが、東京、八王子にも「鵯山」という山があることは、恥ずかしながらこの年まで知らなかった。

滝山街道の南側、浅川と谷地川に挟まれて南下してきた多摩丘陵の南端、浅川に面した高台で、小宮公園という武蔵野の雰囲気を満喫できる都立の自然公園が広がっている。

この小宮公園の西側は見晴らしのいい高台で、瀟洒な住宅街が広がっているが、ここに以前まで古墳が残っていたらしい。東京都遺跡地図の八王子市遺跡番号89番、鵯山古墳である。

今日は仕事が思いのほか早く済んでしまった。古墳を見るつもりはなかったのでカメラは持ってきていないのだが、せっかくすぐ近くにいるので行ってみることにした。

以前は有料道路だったらしい立派なトンネルで山の下をくぐり抜け、東側から尾根伝いに進む。

小宮公園の西側、南側の斜面が開けた明るい住宅街の一画が、東京都遺跡地図によれば古墳のあった場所のようだが、今は瀟洒な戸建て住宅が立ち並んでいる。古墳は下の写真の右上の方にあったようだ。

現地南側

現地近くに南側の眺望の開けた一画があった。もし自分が古墳を作るのであればここがいいかなあ、と思う。当然、昔は家々は立っていなかったであろうから、ここ以外でも眺望はよかったのであろうが・・・。

現地近く

小宮公園近くまで戻って、同じく南側、浅川方向を望む。今日は雲が多い。

小宮公園近く

北の方には青空が見えている。

小宮公園近くの青空

名は知らないが、黄色い花が寒空に映える。

小宮公園


(参考資料)
「古墳まっぷ」 http://kofun.info/

鵯山古墳跡地図


2017/02/27

石器時代の敷石住居、石棺墓跡(東京都あきる野市 西秋留石器時代住居跡)

今回は番外編、古墳ではなく、石器時代の住居跡遺跡である。

西秋留石器時代住居跡

圏央道のあきる野インター近くの牛沼という興味深い名前の地区、秋川に面した河岸段丘上に「西秋留石器時代住居跡」遺跡がある。

西秋留石器時代住居跡

敷石住居跡5戸と石棺墓2基などが見つかったらしい。

西秋留石器時代住居跡

地表面には発掘当時のものか、敷石住居跡と石棺墓の見分けはつかないが、人頭大の川原石の石積みが保存されている。

西秋留石器時代住居跡

地味ではあるが、そこはかとなく興味深い遺跡である。

西秋留石器時代住居跡

2017/02/16

仁王像の脇の背の高い平野部古墳(茨城県行方市 東福寺(三枚塚)古墳)

稲荷山古墳から静かな湖岸の道を南下、浜地区に入ると、風景はこれまでの丘陵地帯から一変、平坦な平野部に変わる。
旧道から大きな食品会社の前の路地を南に入ると、やがて右手に東福寺のお堂が見えてくる。

東福寺薬師堂

東福寺は1351年開山で、江戸末期に火事で焼失するまでは周辺の豪商の集う市で賑わったようだ。
お堂の周りにはそうした歴史の余韻のようなものが降り積もっているように感じる。

東福寺周辺

少し南に離れて山門があり、風雪に堪え抜いた迫力ある仁王像が闖入者を睨みつけている。

東福寺山門仁王像

東福寺山門仁王像

山門の西側、大きな築山のように、背の高い古墳が西陽に染まっている。

東福寺(三枚塚)古墳

墳形については情報があまりないのでよくわからないが、見る限り、直径は20mほど、高さは6mほどあろうか、墳頂北側が陥没しているようであるが、山門側から見ると端正な形状をした円墳のようである。

向こう側、西側に回り込んで見ると北側と西側は少し傾斜が緩やかなように見える。

東福寺(三枚塚)古墳

崩れかけて傾いているが、山門側の墳丘には石の階段がついていて、頂上まで登れるようになっている。

東福寺(三枚塚)古墳

頂上中央部には大きな陥没痕があり、地中からは埋葬施設の石棺だろうか、大きな石が露出している。
墳丘保護のためにも、あまり土足で踏み荒らさない方がよさそうである。

東福寺(三枚塚)古墳

頂上には石棺材だろうか、「武州高尾山」の文字と天狗像が線刻された大きな石板が建てられている。

東福寺(三枚塚)古墳

東福寺(三枚塚)古墳

左右には石の祠と、小さいけれど光背の彫刻が見事な不動明王像が目を細めて静かに佇んでいた。

東福寺(三枚塚)古墳



(参考資料)
「いばらきデジタルまっぷ」 茨城県 http://www2.wagmap.jp/ibaraki/top/select.asp?dtp=34

東福寺(三枚塚)古墳地図


2017/02/16

急階段の上の稲荷神社と小さな前方後円墳(茨城県行方市 稲荷山古墳)

稲荷山古墳は天神山古墳のある羽生地区の南隣、八木蒔地区にある。国道355号線は地区の中央、台地の上を通っているので、湖畔の集落は車の往来も少なく、ひっそりとしている。

稲荷山古墳は集落の背後、急傾斜の高台の上にある。

行方稲荷山古墳 石段下

後円部の墳頂には稲荷神社が祀られており、古墳へはその稲荷神社へ上るとても急な石段を上っていかねばならないが、もしこの階段がなければ、とてもじゃないがこの斜面は登れないだろう。

行方稲荷山古墳 石段


10mほど上ったところにテラス状になった場所があり、ここから上が古墳の墳丘のようだ。

行方稲荷山古墳 墳裾より

古墳は前方後円墳とされるが、以前は円墳と方墳の二つから成る稲荷山古墳群と言われたらしく、当時建てられた「稲荷山古墳群1号墳」と書かれた木製の立て札が石段脇に残っているが、根元が朽ちてしまったのか、斜面に倒れたままになっている。

行方稲荷山古墳 古墳群立て札

石段を登りきると、頂上には近年新しくされたのか、綺麗に手入れされた祠と狐の像が出迎えてくれた。上ってきた石段を見下ろすと目が眩むようだ。

行方稲荷山古墳 神社境内

行方稲荷山古墳 石段上から

お稲荷様も狐も、木立の向こうに光る湖面をじっと見つめている。

行方稲荷山古墳 神社から

祠の周囲は綺麗に手入れされているが、周辺の木立は鬱蒼としており、墳丘はどちらが前方部か定かでない。

行方稲荷山古墳 墳丘

神域である、無用な詮索はやめておこう。


(参考資料)
「埼群古墳館」http://sgkohun.world.coocan.jp/

行方稲荷山古墳地図