FC2ブログ
2016/12/22

濃尾平野の前方後方墳(岐阜県可児市 西寺山古墳)

親戚に不幸があり、法事のため可児市を訪れた。法要を依頼した弘福寺の敷地内に思いがけず古墳があった。

西寺山古墳

4世紀築造の前方後方墳で、全長60m、前方部長26m、後方部長34m、二段築盛の墳丘は葺石でおおわれていたそうだ。墳頂には今でも埋葬施設が残っているようである。

西寺山古墳解説板

法要を済ませた後、便乗させてもらった車に皆が乗り込むまでの僅かな間、ご住職に許可を頂き、手を合わせつつ、墳丘に上らせて頂いた。

西寺山古墳

西寺山古墳墳頂付近

西寺山古墳墳丘

葺石の名残か、墳丘上にはこぶし大の川原石が今でも多く見られる。


すぐ近くには、西寺山古墳を含め、古くから「前波の三ツ塚」と呼ばれる前方後円墳2基があり、隣接する伏見地区にも前方後方墳が3基あるという。時間もなく、不謹慎な行動は憚られるので、是非またの機会に訪れたい。

西寺山古墳地図

2016/12/16

多賀城の小円墳(宮城県多賀城市 稲荷殿古墳)

仙台港に出張することになり、少し早く現地に到着したので、多賀城駅から徒歩10分ほどの稲荷殿古墳を見に行った。

多賀城駅の北、多賀城市役所を西に入ってすぐの瀟洒な住宅街の一角、三方を住宅に囲まれているが、古墳は文化財としてきちんと保存されていた。朝陽を浴びて、電柱の長い影が墳丘まで伸びていた。

20161215 DSC_4775s多賀城稲荷殿古墳

直径13.5m、高さ約2mの円墳で、7世紀前半の築造、横穴式石室から銀環(耳飾り)や石製小玉などが出土したらしい。

20161215 DSC_4779s多賀城稲荷殿古墳

20161215 DSC_4778s多賀城稲荷殿古墳

墳丘を眺めながら、墳頂が窪んで見えるのは盗掘にあったのか、それとも埋葬施設が陥没した跡だろうか、などと考えていると、幼稚園に子供を連れていく途中か、自転車に乗った女性が怪訝そうにこちらを見ている。近頃は物騒な事件が多いので、古墳見学も気楽でない。

周囲は一面、有名な多賀城遺跡が点在するエリアであるが、遺跡地図を見ても古墳はこの稲荷殿古墳だけのようである。
土地勘が利かず周辺の立地がよくわからないが、古墳はここから数百mほど南を流れる砂押川に面した河岸段丘に作られているのであろう。そういえば市役所からここまでは緩やかな上り斜面になっている。

20161215 DSC_4782s多賀城稲荷殿古墳近く

市役所近くまで下ったところの公園内に、さきほどの古墳よりも大きな盛土の山があった。
最初、これが古墳か、と思ったが、遺跡地図を見ても何も記載がないことからすると、こちらは人口の盛土なのだろう。

さて、ミチクサはこのぐらいにして、仕事に向かうとしよう。今日も空が青い。

多賀城 稲荷殿古墳 地図

2016/12/13

東日本最大の上円下方墳(埼玉県川越市 山王塚(南大塚古墳群))

川越は古墳が多い土地柄のようだが、これまでなかなか訪れる機会がなかった。
夏場からずっと続いていたヘビー級の案件が一段落したので、今日は思い切って川越まで足を延ばしてみようと思う。

見たい古墳は数あれど、上円下方墳という墳形に惹かれて、南大塚の山王塚を見に行くことにした。

国道16号を北上、関越道の川越インターを過ぎるとすぐ、左手にニトリが見える。目指す山王塚はこの裏手にあるらしい。
最近建てられたような瀟洒な住宅地を抜けた先、マンションの裏手にぽっかりと雑木林の一画が残されていて、その林の中心部が小山のようになっているのが遠目にもわかる。
よく見ると、雑木林の周囲が一段低くなっていて、古墳の周溝のようにも見える。一段高い部分が下段の下方墳か、とも思う。

山王塚古墳全景(東より)

南側に墳丘への入り口があり、右手に川越市の設置した解説板が立っている。

山王塚古墳(入口)

北西1~2kmを流れる入間川の対岸にある「的場古墳群」と対峙するような勢力関係だったようだが、あちらの主墳である牛塚古墳は前方後円墳であり、墳形の相違から見ても、確かに両者の関係は興味深い。

山王塚古墳現地解説板


上円部は直径47m、高さ4.5mで墳頂には祠が祭られている。

山王塚古墳上円部

山王塚古墳墳頂の祠

下方部は判然としないが、高さが1mに対して、四方は一辺が63mもあるらしく、周囲を周溝が廻っていて、その一部は今も現存している、とある。

山王塚古墳下方部

山王塚古墳下方部近景

16号を行き交う車の音もここまでは届かず、落葉を踏む音しか聞こえない。晩秋の雑木林は匂いまで懐かしく心に沁みた。

山王塚古墳地図

2016/12/09

住宅街の斜面に残る木立と円墳(埼玉県さいたま市 日向古墳(土合古墳群))

土合古墳群は浦和の南端に位置する古墳群で、南から、神明神社古墳、日向古墳、本杢古墳の3基が現存している、とされる。

先日、これらのうち神明神社古墳と本杢古墳は回ったが、日向古墳は場所がわからなかったので、帰宅して調べてからの再訪となった。仕事の都合などもあって季節は冬になってしまったが・・・。

日向古墳は本杢古墳のほど近く、直線距離で600mほど東の住宅街の緩斜面にある。
このあたりは台地末端の起伏の多いところで、上り下りを繰り返しながら中島小学校から東へ真っすぐ進み、緩斜面の頂上で右折すると、ほどなく右手に砂利引きの駐車場と、その向こう、緩斜面の際のあたりにこんもりとした木立が秋の日差しを浴びていた。

浦和日向古墳 東から

木立からは小鳥のさえずりが聞こえる。

樹木でマウンドはよく見えないが、直径15m、高さ2mの小円墳である。

浦和日向古墳 墳丘(東から)

以前は墳頂に古峯神社の祠が祀られていたらしいが、現在は見当たらない。

墳丘の周囲には枝打ちされた木々が束ねられているので、手入れはきちんとされているようだ。

浦和日向古墳 南から

古墳であることを示す解説板などは設置されていないので、一見したところこれが古墳であるとは思われないが、丸い墳丘はほぼ完全に残っているように見える。

斜面の向こう側は少し低くなっているように見えるので、向こう側から見ると墳丘の高さが際立ってさぞかし立派だろう。

浦和日向古墳 東から

保存状態がいいのだから、周辺の空き地と合わせて史跡として整備してはどうか、と思った瞬間、小鳥がひときわ高く鳴いた。

浦和日向古墳 東から

彼らには今のままが一番、ということか。