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2017/01/04

平将門所縁の地の前方後円墳(千葉県印旛郡酒々井町 鬼塚古墳)

成田への初詣の帰途、妻に古墳をひとつ見るお許しをもらったので、鬼塚古墳という前方後円墳を見に行くことにした。

もともと千葉県内の古墳に関しては予備知識をほとんど持っていない上に、予習を全くせずに出かけたのであるが、調べてみると酒々井町から佐倉市にかけた本佐倉という一帯は戦国時代の千葉氏の本拠地であった場所でもあり、古くは平将門の出生地/出城があった場所ともいわれているようである。

成田山へ参詣した後に将門所縁の地に行く、というのも気が引ける話ではあるが、それはともかく、鬼塚古墳はそうした将門伝説のある本佐倉地区の酒々井町隣保館というコミュニティセンターの前に残されていた。

鬼塚古墳後円部を南東から

鬼塚古墳前方部


古墳の築造は6世紀後半、全長30m、高さ3m、円筒埴輪や形象埴輪が出土したようである。周囲はだいぶ削られているのか、前方部と後円部の区別がつきづらいが、古墳巡りの参考にさせて頂くことの多い「埼群古墳館」さんのホームページによれば、西側が前方部、東側が後円部で、後円部の直径は12mとのことである。

鬼塚古墳前方部

鬼塚古墳括部を北から

鬼塚古墳前方部より後円部

夕陽がだいぶ傾いた。

鬼塚古墳 墳丘上の夕雲

鬼塚古墳夕景

将門さん、お怒りだったらごめんなさい。

鬼塚古墳地図

埼群古墳館さん、無断引用大変申し訳ありません。

(参考資料)
「酒々井町観光ナビ」:https://www.town.shisui.chiba.jp/navi/mobile/index.php
「ふさの国文化財ナビゲーション」:http://wwwp.pref.chiba.lg.jp/pbbunkazai/framesetMain.aspx(千葉県教育委員会)
「埼群古墳館」:http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/

2016/04/11

国府の丘の前方後円墳(2)(千葉県市川市 法皇塚古墳)

明戸古墳を見た後、法皇塚古墳に向かった。

法皇塚古墳は明戸古墳のある里見公園から南東方向に直線距離で400mほど、東京医科歯科大学教養学部のキャンパス内に残されている。

里見公園の南側の道路を東に向かって進む。ここも桜並木が見事で、散り始めた桜が時折風で桜吹雪のように舞っている。
右側のフェンスの向こうは医科歯科大で、5分も歩くと、フェンス越しに大きな墳丘が見えてくる。思いの他、大きな墳丘である。

大学の入り口は国府台を南北に貫く県道1号線に面したキャンパス東側にある。当然ながら「関係者以外立ち入り禁止」だが、「法皇塚古墳見学の方は受付にお申し出下さい」とある。受付がどこかは書いておらず、カメラ片手に学内をウロウロする訳にも行くまい、と諦めかけていると、背広姿の年配の男性が右側の建物に入って行くのが見えた。同じ建物に入っていくと、古墳見学の受付窓口があった。ノートに氏名を記載すると、午後4時半を過ぎていたが、「周りを一周できますので、ぜひどうぞ」と、快く通してもらえた。自分の母校ではないけれど30年振りのキャンパスはやはり爽やかである。

医科歯科大キャンパス

古墳は隣の建物の向こう側に、あたかも校内の築山の風情で残されている。

法皇塚古墳

掲示板には大学の総務部による詳細な解説が記されており、それによると戦後、数回にわたり発掘や測量などの調査が行われ、前方部を西に向けた全長65m(現存58m)、後円部直径30m(同24m)、前方部幅35m(同28m)、高さ5.5m(同5m)で下総西南部最大の前方後円墳であり、豊富な出土品は市川考古博物館に展示されているらしい。

法皇塚古墳解説

お言葉に甘え、墳丘に沿って一周させてもらう。

法皇塚古墳

西側は少し開けた感じ、足許にはタンポポが群生しているので、踏まないように歩く。
今日も空が青い

法皇塚古墳西側

法皇塚古墳西側にて

北側に来るとここまでは学生の声も届かず静かな雰囲気。先ほどフェンス越しに見た方向であるが、別のマウンドだろうか、低く細い土盛りが続いている。

法皇塚古墳北側

名前は知らないが、八重咲の白い花が春を謳歌している。国府台はまさに春爛漫、青空まで爽やかだった。

法皇塚古墳北側にて

法皇塚古墳地図

2016/04/11

国府の丘の前方後円墳(1)(千葉県市川市 明戸古墳)

青戸の仕事が一段落したので、近くの古墳を見に行きたい。
青戸は葛飾区だが、江戸川を越えれば千葉県市川市で、国府台はすぐである。千葉の古墳はまだ見たことがないこともあり、今日は国府台に行ってみようと思う。

国府台は文字どおり、奈良時代に国府が置かれた高台の台地で、一度、じっくりと訪れてみたい場所である。国府台の台地上には南北に2つづつ、4つほどの古墳が現存しているようだが、今日はそのうち北側の2つ、国府台2丁目から3丁目に残る2つの前方後円墳を回ろうと思う。

明戸古墳は里見公園という大きな公園の中にある。里見公園は中世に築かれた国府台城の跡地で、高低差のある丘陵上に城郭遺構の土塁跡があちこちに残っている。折しも桜がちょうど散り始めていて、土塁跡は一面、桜の花びらで彩られていた。

国府台城跡

里見公園

明戸古墳墳丘


古墳は公園の北側の土塁跡の一部として残っている。

明戸古墳墳丘

全長40m、前方部を北西に向けた前方後円墳で、6世紀後半の築造とされている。

明戸古墳墳丘


墳丘上には石棺が二つ露出した状態で保存されており、市川市の設置した解説板が傍らに立っている。

明戸古墳墳頂

明戸古墳解説板

明戸古墳石棺

国府台は下総台地が江戸川に向かって張り出した標高20~25mの舌状台地で、古墳は台地の西の際に作られていて、江戸川を遥か下に見下ろし、とても眺望のよいところである。当時は遠くからでも目立ったことだろう。

古墳横から江戸川を見下ろす

古墳だけでなく、春の公園は新緑も目に染みる。新芽が西陽に輝いている。

里見公園

明戸古墳地図